2015-09-04

陸上競技への違和感 

世界陸上が終った。昔から違和感がある。

黒人黄色人種はそもそも生物として違うような気がする。

それを比較する。フェアじゃない。

白黒でわけれないものをある一定合意のもとに敢えて

どっかで線引きをするというのはわかる。

しかし、その前提として決めきれない、曖昧な部分があることを

知った上でやるのが大人だ。

つの尺度でのみ判断しようとするのは子供がすることだ。

すべてを秒数で判断するというのは判断の難しさを放棄した、アホのすることだ。

子供だとも言える。

足が速い子供モテる

だが、そのうちそんな世の中デジタルじゃないことに気づく。

いろんな判断原理を色々知っていく。それを先祖返りしているよう。

ある程度、敢えて固執し、無理をする。それがゆえに限界突破されるという論もある。

しかし、黒人黄色人種はもう決定的に違っている。

骨格や身長筋肉

そらキリンチーターを比べれんやろ。

なのに、そこを議論することはない。

それを決着せずにズルズル同じ尺度で競技をやっている。

進化ゼロ

陸上競技に参加している人は子供なのかもしれない。

勝てない土俵から降りるという選択をさせない。

そんなのみんな気づいている、誰もいわない。

こういうことにきちんと楯突いて議論する、それが大人だ。

それをしないのは判断をしない、決めれない、汚い選択肢だ。

織田裕二みたいに煽って、傍観しているようなアホを誰も諭さない。

アホだ。

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