2015-07-14

「手当たり次第」をもっと認めてもいいんじゃない

世の中、手当たり次第は疎まれがちである

大した理由もなくアプローチするのは失礼とされる。

でも実はみんなけっこう手当たり次第を実行してるんじゃないか?

そしてみんなそれに気付いてないわけではないだろう?

なので、失礼なことはしてないというポーズのために嘘が重要になってくる。

で、選ぶ側は手当たり次第も嫌だけど、この嘘にも辟易してるわけである

じゃあ本音でぶつかり合えばいいんじゃないの? っていうかそうあるべきでしょ?

という話になるけど、理想論であって現実的じゃない。

だれもが望んだ業界職種会社に選ばれてるだろうか?

仕事だけじゃない。恋人は? 配偶者は? 居住地は?

みんな割と手当たり次第の結果で現状に行き着いてるはすだ。

そして成功者は案外手当たり次第の手数の多さで差をつけてる。

何度も失敗して、その中からたまに何かを得たりして、それを続けてようやく成功を掴む。

手当たり次第を許さないってのは、失敗とか自由を許さないってことだ。

自分が手当たり次第の一つに含まれるのは嫌かもしれない。

でも、手当たり次第だらけの世の中で、見え見えの嘘を聞いて満足するのってもう不毛だと思わないか?

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