2015-06-21

http://anond.hatelabo.jp/20150620221518

リンク先を読んで、ほぼ同じ事を思った。少年A発言を烈しく批判してるくだりに、自家撞着のような矛盾を感じたところまでほぼ同じ。

ただ、それを取り上げてナカガワ某氏を叩くのは、酷と言えば酷かなあ、とも思う。結局「人の痛みが分からない」という一点に関して、少年Aもナカガワ某氏同じでしょ

少年A治療教育によって、分からないながらも社会適応する方法をいくらか身に付け、ナカガワ某氏は、おそらくはその程度が軽いため、一部を仕事モチベーションとしながら、社会の中で一見まともな人として暮らしている。だからリンク先における批判趣旨は、同族嫌悪だよね。その程度の違いなんだろうなあ、と思う。正常と異常の、いや正確に言えば「(いわゆる)正常」と「異常から(一応)復帰した正常」との違いというのは。まあよくある話なんだけど。

最後に、一点だけ増田の論に異論を書くとすると、そもそも論として少年A社会が温かく迎えるべき、という話だけど、少年Aを引き受けるコストを事後的に事件後の社会にだけ求めるというのはフェアじゃないと思う。「そもそも論」として言うなら、少年Aをあのような犯罪に至らせない社会モデルを構築すべき、という方がより適切だろう(そして、事後的には今のような対応しか方法がない、と)。あのような罪を犯した後で、「更正」した犯人社会が「温かく」引き受けよ、というのは、社会が負うべきコストが膨大すぎて現実的ではないよ。それって全人類キリストにしようというくらいの話じゃない? それよりは、罪を犯した原因について社会が共有し共同でその防止策を考えるべき、という方がまだしっくりくる。

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