なんでもかんでもすぐに共有したがるのはわかるけど、いろいろ人に伝える事はあるにせよ、その方法とか時期とかってもんがあるんだよ。
〜が天国に行きました、とかいうタイトル付けて、本文はありがとうとかそんなん。
当然わかりますよ、気持ちは。ただ、それを、みんなが適当な落書き帳にしてるSNS上にふわっとのせる神経が知れない。
そんな大事なニュースを自分だったらBOKETEのふざけた画像とか、わけわかんない動画やニュースのリンクのポストがあふれるSNSのタイムライン上に混ぜたいとは思わない。
SNSは基本的には中身のない、表面の感情や、表面的な裏の取れていないニュースのうわさなどが羅列されていて、それを話半分に斜め読みしながら楽しむ所なので、早い話、本当のことなんてまず流れてこない。
そこに、本当の悲しみを伴うニュースをのせるなんて無神経すぎる。
同時に読む人がどう思うかとかも全く考えてないんだろうなと。
今日もフレンドの最近の様子や、適当なニュースを軽い気持ちで斜め読みしようと思ってタイムラインを開いてる人々に本当の悲報を流すんじゃないっていうの。
今日もフレンドの最近の様子や、適当なニュースを軽い気持ちで斜め読みしようと思って だってその「フレンドの最近の様子」が「身内が死にました」って状態なんだからしょうがな...
感性、品性の問題だよな。同じ最近の様子とはいえ、身内の不幸も今日の昼飯写真も同じ重要度のライン上で扱うっていう。ま、そういう意味ではそいつにとってはそんくらいのことな...
そうやって軽々しく扱う事で、辛い事実の前にいる本人の心の負担が軽くなっているとは言えないだろうか。 当事者が楽になるのなら、それは良い事ではないだろうか?
なるほど、それは分かる気する。そういう考え方も有るか。