2013-10-13

珈琲を入れる、紅茶を入れるという行為をしたいと思うことがある。

缶コーヒーペットボトル紅茶ブラックストレート、ビトウ、カトウいろいろなバリエーションで売られていて、香り豊かなものが売られているにも関わらず。である

わざわざコーヒー豆を買ってきて、フライパンに火をいれ、ミルで砕き、今日はああ荒めにしよう。

お湯は少しぬるいほうがいいかな。

とか言いながら、紙のフィルターを取り出し、急激な温度の差にびっくりしないように湿らせたりする。

カップを暖めたりしながら、10分またはそれ以上の時間をかけて、たったいっぱいの珈琲を入れる。

歩いて二分のところに自動販売機があるにも関わらずである

これはもう完全に趣味領域であり、我々はこうやって珈琲を入れるという行為に満足するのである。(さらに言えば素人がいれる珈琲などそんなにおいしくもない)

それでもやはりどんなに忙しくても毎朝珈琲を入れたくなるのは、それはもう儀式のようなものである

神様は信じていないけど、もはや、もし八百万の神がもしもいるのだとすれば、結果的に私は珈琲の神を確実に崇拝していることになるであろう。

紅茶に関しても同様であるし、そういう、一見すると無駄なように見えて、そしてよく考えても、合理的に考えてもどう考えても無駄であるこの行為を辞めることは、今の私には少し難しいらしい。

理系研究者をしているにも関わらず。である

そして珈琲のことが話題に上がってくると、頼まれてもいないのにゴリゴリ説明し、現代言葉で言えばKY既読スルーではない)という言葉タグ付けられてしまうそうになっているのでありましょう。

と、私は自分自身の事を客観視してそう申し上げているところでありますが、珈琲紅茶にはなんの罪もないので、私のことが嫌いになっても、珈琲紅茶を飲むのは辞めないでください!

ということで。

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