2011-09-18

祖母の話したこと

適当に祖母が話したことを書いておきます。裏もとってないし事実と異なることがあるかもしれませんがご了承ください。

祖母は大正生まれ。栃木県宇都宮市内国道沿いに住んでいた。

当時中学校は市内に一つしかなく1100人ぐらいの生徒がいたらしい。

男女別クラスで男7-10?、女7クラスぐらいあった。

修学旅行?で東京江ノ島に行ったが、その頃は人数が多かったので特別列車を仕立てていったらしい。

東京で一泊するとき、小さい旅館しかなくあちこちに分かれて泊まったそうだ。

江ノ島には大きい旅館があったので2つにわかれただけですんだとか。

東武周辺は刑務所があったが、通学当時に工事が始まり更地にされてから再開発されたようだ。

家への近道だったため周辺を通過して帰ったらしい。

現在と違って他に建物もなく、フクロウがなく道を帰るのは心細かったそうだ。

更地になった後も数年広い敷地がのこり、商店街の男たちなどがでかい凧をあげていたと言っていた。

学校の生徒はほうぼうから登校しており、祖母のクラスには鬼怒川のへりに住んでいる生徒がいた。

の子の家は農家で朝が早く、徒歩で通学していたが、速く歩いても一時間はかかったそうだ。

名前を忘れてしまったがその子と祖母は登校が早かったため、よく一緒に登校し話をしたという。

ちなみに遠足の行き先は鬼怒川だったそうだ。

祖母の卒業後あたりで学区の再編が行われ、市内には複数の中学校ができたという話である

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