2011-08-29

ルールを変える発想がない??

ボルトフライング失格に為末大国際陸連に考えてもらいたい」

http://www.rbbtoday.com/article/2011/08/29/80371.html

為末はユーザーからの「ファールはファール。だから日本人は甘い」といったコメント

日本人ルールを変える発想が無いので、ルールが間違えてるのではなくて自分が間違えてると勘違いします」

この「日本人は甘い」というコメントにも「ルールを変える発想が無い」という指摘にも、

何か違和感を感じたので、ちょっと考えてみる。

「1回のフライングで失格」という規定は厳しいなと感じた。

昔一人一回のフライングが許されてたんで駆け引き的に使う事もあったんです。決勝で4、5回フライングがあったり

なるほど、こういう理由もあるんですね。

とりあえず、ここでは「この規定は厳しすぎる」という前提で話をしよう。

日本人が陸連対しに発言力があるのですか? ボルトも一選手 ファールはファールですよ。だから日本人は甘い

この発言は一体何を意味しているのだろうか?

直感的に感じたのは、

「今まで俺は(そして多くの人は)理不尽ルールで戦わされてきた。それを強いられてきた。

そして受け入れてきた。ルールは変えられないとあきらめてきた。

ルールを変えるなんていうのは、卑怯なやつのすることだ。

ルールを変えてほしいというのは、ミスを許してくれと言うようなもので、考え方が甘い。」

という感じ。どこまで正確に捉えられているか、もしくは見当はずれなのか、よく分からないけれど。

この「一部の人一部の人に都合の良いルールを作り、結果その理不尽ルールがまかり通っている。」

という感覚は多くの人に共通のものじゃないかと思う。

そしてそれに対して、

A. あきらめてそのルールの中でがんばる

B. そのルールの中で抜け道を探す

C. ルールを作る立場になろうとする

などの対応をする人がいて、

Aの人にとってBやCは卑怯者のように見える。

これらはいずれも「その集団の中でどうしたら上に立てるか」という発想から来るもの

しかし一方で少数ではあってでも、目的が全く違う人もいる。

ルールの中で自らは頑張る一方で、正当なルールに変更できないかを考える」

人もいるだろう。そういう人の目的は集団の中での自分の立場ではない。

こういう目的の違いが両者の相互理解を拒んでいるような気がする。

「世の中はどうあるべきか」という発想で見られる人を僕は応援したい。

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  • 今の若い世代(30代まで含む)はルール(法律)を絶対的正義として認識してる。 それが、「ルールに従ってれば善、ルールに従わなければどんな事情があろうとも悪」という誤った...

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