2011-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20110426085417

一番親しい仕事上密接に関係あるメンバーとか、あるいは輪番制の単なる名目の代表が、「全員の適切な距離感に基づく見舞いの意」を表明しに行く。これをしとかないと、その人が復帰してきたときとか、ちょっと微妙空気になってしまう。「あいつは見舞いに来たけど、あいつはこなかった…」とか、そういう空気になると困る。

これはない。

そういう人は、代表が見舞いに来ても「来なかった人」を覚えてる。

個人的に来てくれた人を優遇する価値観を持つ人だ。

そういう人にとって、「式」は名前を記帳することに意味がある。

式に出ない人は「でない人」の分類で、代表が来ようが関係ない。


さて、では「式」をやらないとどうなるかと言うと、対応が大変面倒になる。

葬式など、密葬で済ませてしまうとこれを体感できる。

から次へと、後から知った知人が訪れる。

結婚でも同様だろう。

それらを、日付も含め一括にまとめるのが「式」なのであって、決して「微妙距離感の人への配慮」などと言ったものではない。

自分たちの便宜のために行うもので、行わなかったことによる弊害(散発的に人が訪れる)との兼ね合いになる。

しかしだからといって、「自分は式をしないでおこう」と考えるのは、やめてもらいたい。それは、そういう人の気づかないところで随分迷惑なことだからである

論外。

繰り返すが、そんなことのために式があるんじゃない。

あくまで式を行う側の便宜のためだけにある。

記事への反応 -
  • ここ5年ほどで、10人くらい知人をなくしている。 たぶん無宗教なのかだからと思うんだけど、葬式というのが理解出来ない。 結婚式はわかる。 これからの旅立ちを祝うのは意味がある...

    • 世の中には「社交」というものがあって、知り合いの人生になんらかのイベントが起きたとすると、それなりの交流が発生することになる。たとえば結婚とか誕生とか病気とか死とか。...

      • 一番親しいか仕事上密接に関係あるメンバーとか、あるいは輪番制の単なる名目の代表が、「全員の適切な距離感に基づく見舞いの意」を表明しに行く。これをしとかないと、その人が...

      • 当人以外の周囲の者を「社会」っていう風に置き換えて、 より重視すべきようなことにしているけれど、世間論的で嫌だな、そういうの。 周囲の者が、面倒臭く思わなければいいだけ。...

    • 死んだ人のためにやるものじゃないよ 残された人たちが死を受け入れるための儀式

      • 葬儀なんかしたって受け入れられないときは受け入れられないし、しなくたって受け入れられるときは受け入れられると思うんだけど。 いちばんケアされるべき遺族は故人の関係者への...

        • それでも今の葬式はずいぶん簡便になっている。 昔は葬式っていったら、隣近所が総出であれやこれやとやるもんだったのよ。 それを通じて、いろんな人が死を確認したんだね。 今だ...

        • いちばんケアされるべき遺族は故人の関係者への連絡と、葬儀の段取りで大忙しじゃん。 忙しいのは遺族のケアになるんだよ。 忙しいと悲しみを忘れられるんだ。 一番悲しみが強い...

    • わざわざ知人の葬儀に出るなんて凄いじゃん!(社交辞令かどうかは置いといて 課税をしちゃうと宗教団体が潰れそうなとき国が助けなくちゃいけないからやってないって聞いたこと...

    • 通夜、葬儀、告別式とバタバタ大忙しだし 悲しみは時間が癒してくれる。 とりあえず49日までは忙しいからそれまでの間は悲しんでる時間がない→それで時間が稼げる 3週間もあれば...

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