一番親しいか仕事上密接に関係あるメンバーとか、あるいは輪番制の単なる名目の代表が、「全員の適切な距離感に基づく見舞いの意」を表明しに行く。これをしとかないと、その人が復帰してきたときとか、ちょっと微妙な空気になってしまう。「あいつは見舞いに来たけど、あいつはこなかった…」とか、そういう空気になると困る。
これはない。
そういう人は、代表が見舞いに来ても「来なかった人」を覚えてる。
個人的に来てくれた人を優遇する価値観を持つ人だ。
そういう人にとって、「式」は名前を記帳することに意味がある。
式に出ない人は「でない人」の分類で、代表が来ようが関係ない。
さて、では「式」をやらないとどうなるかと言うと、対応が大変面倒になる。
結婚でも同様だろう。
それらを、日付も含め一括にまとめるのが「式」なのであって、決して「微妙な距離感の人への配慮」などと言ったものではない。
自分たちの便宜のために行うもので、行わなかったことによる弊害(散発的に人が訪れる)との兼ね合いになる。
しかしだからといって、「自分は式をしないでおこう」と考えるのは、やめてもらいたい。それは、そういう人の気づかないところで随分迷惑なことだからである。
論外。
繰り返すが、そんなことのために式があるんじゃない。
あくまで式を行う側の便宜のためだけにある。
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