2011-03-20

そろそろ震災記を書き始めよう

阪神大震災発生後、確か95年2月ごろに小松左京毎日新聞に「大震災」という連載を始めた。

連載第一回目で小松左京毎日新聞読者に呼びかけたのが

震災を体験した方々へ、記憶が鮮明なうちにその体験を書き留めよう」と呼びかけていた。

そのココロは、

記憶が確かなうちに震災記を書き留めることで、震災記が将来貴重なアーカイブになる」ということ。

これは、小松左京原体験に基づいている。

小松左京は終戦前日に大阪城付近で空襲に遭遇(これが処女作日本アパッチ族」のモチーフになる)

 しているのだが、「この空襲記録が全く残っていなかったので、非常に苦労した」と語っている。

実は自分阪神大震災大阪経験しているが、2011年の今、震災記を書こうと思っても、

かなり忘れてしまっているので、書けない。

あの時小松左京の言うとおりに震災記を書いておけば、と少し後悔している。

今回の地震で、まだまだ東北茨城では災害現在進行形であるが、

首都圏では幾分かは落ち着いてきている。

1995年時点と違って、今ではブログツイッター震災体験を書き込んでいる人も多いとは思うが、

「体系だって震災体験記、というカタチにまとめている人」はまだまだ少ないと思う。

ということで、首都圏の方々で、精神的に落ち着いてきた人は、

忘れないうちに、震災からの出来事、感想を体系だって書き始めてみてはどうだろうか?

ツイートし忘れている出来事、感想が、結構隠れているんじゃないだろうか?

30年後、50年後の「読者」のために、震災記を書き記すことをお勧めする。

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