HIV陽性が判明した看護士に、病院が実質的な解雇の要求をした話について。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1469548.html
http://anond.hatelabo.jp/20100502170423
2ちゃんねるの反応が頭悪そうなのや、あまりに正直すぎるのも驚いたが、
それ以上に、はてブ、ブログ、twitterなどの非匿名メディアでの反応が
みんな恐ろしくいい子ちゃん過ぎて驚いた。
積極的に差別をする気はないけど、HIV陽性の看護士なんて感覚的には嫌だろう。
みんな、そんなに建前トークで、いいカッコしたいのか?
それとも、担当看護士を自由に選ぶ立場になった時の自分の心の動きが
感染力の低さも、感染経路も全て知っているし、自分でも定期的にHIV検査を受けている。
だが、それでもHIVの看護士がいる病院はなんとなく嫌だと思う。
友人から「このニュース、どう思う?」って聞かれたら、
「病院の都合もわからないでもないけど、この対応はどうかと思うよ」って言う。
想像してみてほしい。
自分じゃなく、自分の赤ちゃんが、血液検査を受けることになった時。
どちらを選ぶ?
どんなに差別主義者と言われたって、子供のためにそっちを選ぶ。
なぜか?
「差別主義者ではない自分、というプライド」 と 「限りなく確率が低い感染リスク」 だからだ。
社会正義に燃えて、プライドを持って生きている人なら、ささいなリスクより、自分のプライドを大事にして、
あえてHIVキャリアの看護士の方を積極的に選択する人も多いだろう。
それでも、一瞬考えて悩むはずだ。
どちらを選んだかが公表されないのであれば、安全な方を選ぶ人も多いのではないか。
ともあれ、自分のことなら、この程度の悩みで済む。
これが、自分の子供の採血を受けさせる場合だったら、どうだろうか。
「差別主義者ではない自分、というプライド」 と 「限りなく確率が低い子供への感染リスク」になる。
それは、むしろエゴなのではないか?
もしくは逆に、子供への教育の一環として、「『差別主義者ではない親』というプライド」を優先させるか?
さらに、HIV陽性の看護士を積極的に選んだ理由を、配偶者に責められた時、しっかり反論出来るだろうか。
これが原因で離婚になってもおかしくないくらいの問題だ。
そのようなリスクを踏まえてもHIVキャリアの看護士を選べる人は、稀なのではないか。
もしこれが看護士じゃなくてHIVキャリアの友達と今までどおりの交流をするか、という話だったら、
多少は気になるけど友達のことが好きだから、気にしない。
その時でも、「友情」×「プライド」 > 「嫌な感覚」×「わずかなリスク」 という不等号が成立しているはずだ。
友人がHIV陽性になったと聞いて、表面的には冷静にしていても、何にも意識せずに接することが出来る人はいない。
そこまでHIVは当たり前の病気には、まだなっていないからだ。
その友人とグラスの回し飲みをする時、その事実を完全に忘れていなければ、一瞬でも頭の中をよぎるはずだ。
それでも気にしない振りをして同じグラスで飲む俺カッケー!
とまでは行かないが、「大事な友人だからな」という一種特別な気持ちはあるだろう。
だが、その友人が、自分の子供にも平気でグラスを回していたら、どう思うか。
正直なところ「なんて無神経なやつだ」と思うのが大半だろう。
さらに、その相手が旧来の友人ではなく、今日たまたま食事の席で隣になって
会話を交わしただけの人で、実は私HIVキャリアなんですよ、という告白を受けた後だったら。
子供にグラスを渡される前に、声をあげて注意するのではないか?
それすらも差別と言うのか?
看護士として働かせ続けるのはもちろん、事務職などに移したとしても、
どこからともなく漏れた風評被害で経営難に陥っていた可能性がある。
むしろ、看護士の感染が確定して、表沙汰になった時点で「詰み」なのだ。
続けて雇うも地獄、解雇も地獄。どちらも風評被害はまぬがれない。
いくらでも自分のことは棚に上げられるし、正義感ぶることも出来る。
偽善者って、こういうことを言うんじゃないかな。
お前はキリストか。
だいたい同意。 匿名じゃないと本音は出て来ないね。
ちょっと質問。 HIVキャリアの看護師が赤ちゃんの採血をした時に感染する状況を、詳しく説明してもらえないかな。 べ、べつに次作の「ファイナル・デスティネーション」のアイデア...