2008-03-17

http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080316/1205641886

ミクロな問題とマクロな問題を(おそらく意図的に)ごっちゃにするのはどうかと思う。

ナンパなんかは完全に個人レベルミクロな問題であり、こういった「正論」は当てはめることができるが、

果たして

会社は社員から搾り取ることばかりで、社員のことを何も考えてない」とか「従業員サービス残業させて搾取している」とか、

つまるところ「自分たちは苦労してるのに、重役達は楽して良い思いしている。むかつく!」みたいなエントリーを読むと、

これらの問題はどうか。

これは、ミクロでもあり、マクロでもある問題なのだ。

日本社会全体の、国レベルで解決すべき問題でありつつ、しかしなんやかんやいっても、現状を変えるには個人レベルで動かねばならない、という二つの視点が絡み合っている問題なのだ。

本来は国レベルで解決すべきマクロな問題なのだが、

現実的には」そう不満や問題点を述べたところで急激に環境が変わってくれるわけでもないため、個別で対処せざるを得ない、

というややこしさ。(別に本当はややこしくもないんだが)

その問題を、ミクロな視点のみでぶったぎっているから、この「正論」は新聞の読者欄にのる「いい子ちゃんな意見」あるいは「自己啓発本」の域を出ないのだ。

両方の視点から問うべき問題であって、どちらか一方からぶったぎるのでは何も解決しない。

「要は勇気がないんでしょ?」

って、こんなところで勇気を出して確率低い賭けに挑んでいかねばならないような社会がだから既にダメだという話なのだ。

北朝鮮人間に、「じゃあ、脱北すればいいじゃん。そりゃ捕まって殺されるかもしれないけど可能性はゼロじゃないでしょ?それなのにしないのって、殺されるかもしれないのが怖いだけでしょ?要は勇気がないんでしょ?」と言ってるのに近い。(まあこれも大袈裟だというのは分かっているが、ナンパのそれよりはまだ近いと思う。会社を起こして死ぬこともあるのだから)

彼らは何故上記のような不満を発しているかと言うとそもそも、「普通仕事をやっていれば、普通休みもあって、普通給料もそこそこもらえて、頑張れば上にいけるかもしれない環境が欲しい、でも今はそうじゃない」から不満を発しているのである。そんな彼らに「会社おこせば?」は問題を何も認識していないに等しい。彼らは博打を打たず、ただ普通に平穏に生きたいのに、なぜそれができないのか、と声を上げているのである。そしてそれは、本来なら国はそれらを保証すべきであるし、一昔前までは実際にそんな社会が成り立っていた。それらを望むのは、別段先進国であれば贅沢すぎることではない。国民としての普通の要求だ。

それを「勇気がないんでしょ?」って、勇気が無い人間でも、住めるような国、恐ろしい賭けに挑まなくても平穏に普通になら生きていける国であるべきなんであって、「勇気がない人間なら、その現状はしゃーないわ」なんてことになっている国って時点で、だからすでにヤバいのである。

とはいえ現実問題として、「でも、実際問題、実際問題だよ、今の君のその状況をね、変えるには、結局、他の可能性が難しかろうが、それをやってみるしかないんじゃないかい?」といえばそれはそうだ。しかし、だからといって、それをしない人間を「勇気がないだけでしょ?」と個人レベルの問題に擦りかえるやり方はマクロな問題を把握しきれていない(あるいは怖くてその問題から目を背けている)だけだ。

現実問題変えたいならやるしかない」

ということから

「それをやっていないやつは、だから、勇気がないだけ。不満をたれながして情けない奴」

とするのが問題だ。そこまで飛躍させると、マクロな問題がミクロな問題、つまり個人レベル努力だとか気力なんつーものに押し付けられて、政治家までもが「個人でがんばってもらうしかない」とかバカげたことを言い出すことになる。

俺たちが個人個人で頑張るのはいいが、それはそれ、これはこれ。また同時に、社会に対する声は上げ続けていくべきなのだ。どんなに効果がなさそうであっても、上げなくなったらそれこそ終わりだ。そもそも可能性が低くても、社長になってみればいいじゃんなんて言うくらいならそれこそ、実現する可能性が低かろうとも社会に対して声を上げ続けるべきなんじゃないのか。しかも後者前者に比べ、リスクも無いのだ。別に、どちらか一方にする理由も無い。社会に大いに愚痴を吐きながら行動したっていいのである。

このエントリ、「でもやるしかないじゃん」という言い分は分かるが、「勇気が無いんでしょ」だのナンパの例だのを持ち出したのがよくないところだ。問題がごっちゃになっている。「文句を言うな、ということではないんです」だのなんだの一応言っているが、この論では結果そういうことになってしまっている。ほとんど「文句を言うな」に等しい。こんな焼け石に水のような一文を書いたところでなんの免罪符にもならないのだ。

(というかそもそも個人的には、正当な不満以外口にしてはいけないという異常にマッチョで「正しすぎる」空気がそもそもどうかと思う。もっとファジーに、緩い社会でもいいだろう。正当なものでなければ、一片でも自分自身に原因があるのなら不満を言ってはいけない社会ってどんだけ窮屈で余裕が無い社会なんだよ。病的なまでに優等生で怖いわ。そんな簡単に人間皆が優等生になれたらこんな社会にそもそもなってねぇっての)

あるいは勿論、そんなことは重々分かりつつも自己啓発本のように人々をとにかくなんでもいいから勇気付けるために「敢えて」その辺を乱暴にぶったぎって書いたのかもしれない(受験中に「頑張れば絶対受かる!」と敢えて思い込むように)。そうであったとしたら余計な茶々入れではあるのだが。

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