はてなキーワード: 結構とは
のラインって、結構ものすごく簡単なところだったりするんだよな。
例えば、
言葉にするとこんなに簡単だけど、こんなことが実践に移せないだけで本当にトンチンカンで何の役にも立たないことしか言えない人間が世の中にはいっぱいいる。
増田にはそういうのが凝縮されてる。
考えてみると、例えば人間は「あいつと俺は人種が違う」とものごとをふたつに分けた瞬間に何かの法則を見つけた気がするのだが、そこで「本当にふたつだけか、ここに分類できないみっつめもあるんじゃないか」と踏み込んで考えるくせがあるかどうかでこういう注意力が育つかどうかって決まるんだろう。
上の例でも、とりあえずふたつ浮かんだから書いたあとで、みっつめを探して書いてみたし。
絵が描けるのにAIトレス丸出しのイラストを「描きました!」ってやる人は何考えてるんだろう
顔だけ書き直してる人も同じ
MOTTAINAI、KAROUSHIの次に輸出されるNIHONGOはJAKUSHADANSEIだッッッ
受験勉強はじめたばっかりだけど、まじでキツイ。ほんと、やばい。毎日毎日、参考書とにらめっこしてると、頭が爆発しそうになる。で、なんかいいストレス解消方法ないかなって思ってたんだよね。そしたら、意外な方法見つけちゃった。
それは、料理なんだ。最初はね、なんで料理?って思ったんだけど、試してみたら結構いい感じ。例えば、お好み焼きとか作るんだ。キャベツ切ったり、粉混ぜたり、手を動かすだけで、頭がスッキリするんだよね。しかも、美味しいもの食べられるし、一石二鳥ってやつだ。
で、最近ハマってるのが、クッキー作り。なんか、甘いものって癒されるんだよね。生地をこねる感触とか、オーブンから香る匂いとか、全部がリラックスさせてくれる。焼き上がったクッキーを食べると、頑張って勉強したご褒美って感じがして、また次の勉強にもやる気が出る。
もちろん、全部がうまくいくわけじゃないけど、失敗もまた楽しいんだよね。失敗したら、次はどうやったらうまくできるか考えるし、それって勉強と同じだなって気づいたんだ。だから、勉強の合間にちょっと料理するだけで、意外とリフレッシュできるから、おすすめだよ。
結局、何かに集中してるときって、他のこと忘れられるから、ストレスも減るんだと思う。だから、これからも料理続けてみようかなって思ってる。
これ彼女の肩を持つ意見が多くて引くと同時に、やはり私は善性の強い人間なんだなと自信が持てた
人の話を聞かない我が儘な女とずっと言われ続けてて、何の事なのか、私自信我儘など言った覚えはなかったんだけど、こういう事だったんだな
我儘で結構。こんな人助けひとつできない人間になるくらいなら我儘で結構。
あといくらお人好し扱いされても金なんか貸さんわ。こういう事をするのは善悪の区別ができないバカだけだ、という偏見をどうやら皆さんお持ちのようですね
私は邪悪な人間として生きていく方がよっぽどストレスなので、我儘で人の話を聞かない付き合い辛い人として胸を張ってこれからも生きていく
「交際前に体の関係を持つか」というテーマで話してる時、こじるりが「致しますね。致さないと付き合えないですね逆に。怖いです」「致す前に付き合うってどういう勇気?って思います。致してみてからちゃんと人間性とか結構出るじゃないですか」「致し終わった後のテンポ感とか、合う合わないがある」と話していたのがめちゃくちゃ印象に残ってる。だから経営者との結婚も前回の漫画家も「致して奪ったんだなぁ、前妻たち可哀想すぎる…」ってなっちゃう…
ノベルスがライトノベルか否かって言われたら雑なノベルス語りをしたくなってきたぜ!!!!!
ということでしていきます
そもそも「ライトノベル」と「ノベルス」を分ける定義の人たちってのは昔から連綿と存在していて、例えばノベルスって言うとどういうものかっていうと以下のようなレーベルです
等々……
さて、ライトノベルとどう違うの?と言われると、ものすごい簡単にいうと「文庫か新書か」という分け方になる
ライトノベルは主に「文庫」で書かれているレーベルを指すことが多く、ノベルスは「ノベルス版(新書版)」と呼ばれるちょっと細長い感じの本で二段組で書かれているものを指す。
違いはそれだけか?と言われるとまあそれだけなんだが、もうちょい踏み込むにはノベルスの歴史を知る必要がある
1950年代ごろだと、そもそも日本における新書サイズの本と呼ばれるものは「岩波新書」に代表されるお堅い学術書が主だったもので、それに対して光文社が「大衆向けのもうちょいわかりやすい教養レーベルを作りたい」として作ったのが「カッパ・ブックス」と呼ばれるレーベルになる
(余談だが著者近影という文化を始めたのもこのレーベルが初らしい)
で、そこから姉妹レーベルとしてフィクションや物語を扱う「カッパ・ノベルス」が創刊された。
カッパ・ノベルスは松本清張や西村京太郎、小松右京など書いた日本のミステリやSF等エンターテイメント小説に多大な影響がある作品を出して大ヒットを飛ばした。
それを見た他の出版社もこぞってノベルスレーベルを立ち上げてそれぞれのレーベルで作品を発表していった。
これが大体1960年から1980年くらいにかけてのものすごい大雑把な流れで、ライトノベルより早い段階で日本のエンターテイメント小説にノベルスは多大な影響を及ぼした
特に、ミステリやファンタジージャンルに関してはこのノベルスの影響度が尋常じゃないほど高く、ミステリだとカッパ・ノベルスや講談社ノベルス、ファンタジーに関してはC★NOVELSなどで有名作品が数多く存在する
じゃあ、なんでライトノベル定義論でノベルス含む含まない論争になるかというと、ここからは若干雰囲気ベースになるが「出自のターゲット層」じゃないかというところになる。
ノベルスは刊行されているものを見てみるとわかるが結構ターゲットの年齢層が高い。ぶっちゃけサラリーマンとかそっちくらい向けの作品群が多いのだ
この辺りはレーベルの当初から社会派ミステリの松本清張などを使っていることからも伺えるだろう
内容としてもハードボイルドや伝綺小説などが多く、いわゆるエンターテイメントの中でも硬派でおじさん主人公のものも結構多い
対してライトノベルというものは、ジュブナイル小説と呼ばれるいわゆる青少年向けの文化に影響を強めに受けていて、ターゲット層的にも青少年ないし大学生くらいが主だったターゲット層になる
この辺りの歴史的経緯から来る文化圏の違いみたいなものが、「含まない」という人たちが多い理由のひとつだろう
では逆に、「含む」派閥がなぜいるのか。というと、そもそもノベルスの歴史を見てもカッパ・ブックスの成り立ちからして、「大衆向け」でありエンターテイメント小説の土壌としてあったのはここまで話した通り
で、ライトノベルも言ったらエンターテイメント小説の集合の一部なわけで、まあ内容的に近しい作品が多いからだ
この辺り、時代を経るにつれライトノベルとノベルスというのは似た成長を遂げた経緯を歩んだところがある
ライトノベルは様々な近傍の文化(漫画やアニメ、ゲーム、ジュブナイル小説)をごった煮でまとめていったというのだけれども、
ノベルスは時代が経るにつれて対象である「大人たち」の変化を受けて、アニメや美少女ゲームの文化、さらにその近傍の文化を取り入れていき、ライトノベルと似たような変遷を辿っていった
特にこれらを取り入れていったのが、講談社ノベルス(及び講談社BOX)とC★NOVELSである
講談社ノベルス(BOX)で言うと、西尾維新や奈須きのこ、佐藤友哉など
上記の作家たちは、ご存知の通り小説もさることながら、アニメやゲーム、漫画などにも多大な影響を与えていった(というか奈須とかに関してはゲームがそもそも出自ではある)
これらの作品群は内容的にライトノベルでも出ていてもおかしくない作風のものもあれど、ノベルス刊行になっている
また、ライトノベルにおいても、「C★NOVELSで出てそう」「講談社ノベルスで出てそう」みたいな作品は結構ある
(個人的には紅玉いづきさんとかはわりとC★NOVELS風味かなと思ったりもする)
実際「ブギーポップ」シリーズの上遠野浩平は講談社ノベルスで「殺竜事件」等の「戦地調停士シリーズ」を書いているし、ラノベ出身の作家がノベルスレーベルで書いている例も多い
こういった経緯で位置としてはめちゃくちゃ近い位置にあれど、しかし、ノベルスをラノベに入れるか?みたいなのがとても別れやすい、という妙な性質がこの二つにはある
個人的には、まあ歴史的経緯もあるし、レーベル史観でいいんじゃね?という意見なのでノベルスはノベルス、ライトノベルはライトノベルでいいかなあと思っている
ただここまでの歴史的経緯を踏まえても、現状似ている作品群も多いというのはあるので、含める気持ちもわかる
なので、もし今後議論する際には内容派閥かレーベル史観派閥かの宣言くらいはしてもいいんじゃねえかなあと思う
ただそれはそれとして、ノベルス、ライトノベル双方に面白い作品はたくさんある
ノベルスが好きな人も、ライトノベルが好きな人もそれぞれお互いに合う作品は結構あるので探してみるのもいいのではないだろうか
24/06/01
指摘があった「ノベルス」と「ノベルズ」の表記ゆれを修正。ちなみに表記は「novels」を日本語読みしたものなのでどっちもあるっぽく、出版社によっても呼び方に揺れがある。(トクマノベルズはズ、講談社ノベルスはス)。自分もなんかノベルスっていったりノベルズと混ざっていってしまうので癖です……
9-10年ぶりのPCとしてMacBook Air買ったけど、USB4.0っていうのになってて、今までずっと使ってたUSBが挿せなくなってた。
なのでマルチハブ? ドッキングステーション? 買った。エレコムのDST-C05BKってやつ。公式サイトだと16,280円って書いてあるけど、近所のノジマで6600円だった。さらにエポスカードで10%OFF期間だったので6000円。
ヨドバシ.comでUSB4.0のマルチハブって探すとなんか高いのしか出てこなかったけど、近所に安く売っててよかった。
てか、ヨドバシだとDST-C05BKは12,840円になってる。ノジマは期間限定のセールか何かだったのかな? ノジマオンライン見ると11,169円って書いてある。
これで従来のUSB、HDMI、SDカード、LANとか使えるようになった。
MacBook Airは電源つけるところとUSB4.0が2個とイヤホンの穴しかないので、すごくシンプルですっきりしたデザイン。
MacBook ProはSDカードスロットとかもついててAirのシンプルさと比較すると結構ごちゃごちゃしてる。
今Proは高くて買えないし、以前はPro買ってた人も今はAir買うんじゃないかな。
10年前はProが16万くらいだった気がするけど、今はAirが16万くらいするんだよー。
今回買ったのはM3チップで、メモリ16GB、ストレージ512GBのやつ。色はシルバー。22万した。
また10年使う予定。
あ、前回のMacBook Proはトラックパッドが2年経たずに壊れてずっとマウス使ってたんだけど、今回は壊れないでほしいなあ。
歩いている人おらんってさすがに妄想がすぎる。
地方ロケの番組あるよな?実際にその町に行ってそのあたりに歩いてる人に声かける奴。一回その番組見てみろって。話しかけられてるの老人だらけだぞ。
デート中に老人2人も助ける機会あるの、おもろすぎるやろ
ブコメのこれが結構本質で、高齢化がヤバいから見かけた徘徊老人なんかいちいち助けてたら家庭支えるのにやってらんないと思うよ過労死で死んじゃうよ
「怒る」以外の出力をしなかった女もお似合いレベルのアホだけど、徘徊老人を助ける奴は一貫性のない風見鶏
あと10~20年くらいで道歩く人類の1/5くらいが徘徊老人だったり壁にウンコをなすりつけるのをロンドンの乞食並みに無視するみたいな光景が普通になるのに
その時になってもその態度崩さずにやっていけんのか
まあやっていけるならいいけど、もう無理ってなってその時になって突然見捨て始めるならマジでありえねーって思う
色んなパターンがあるとは思う
知ってる人で目立つのは
あえて色々見ないようにしてる
金と時間を与えると驚くぐらいに復帰が早い
興味あることがそもそもないか薄い、あるいは己のマウントのためにやってる
幼少期には好きなものを好きだったんだろうけど、どこかで結局自分が認められたいから流行りとかそういうのに
ガンダムで例えたいがそこまでガンダム詳しくないのと明日早いので後日
一部でしかないとはおもうが、A好きだからCも好きってなれるところの間のBをなんらかの理由で省略して興味幅が狭くなってる気がしてる
1stすぎてΖすら見ないとか、UC限定とか(好きな声優が……とかネットで話題に……とかで急に他作品見だす現象もよくある。ちょうどこないだSEED初視聴みたいな)
逆にガンプラ好きすぎてガンプラのために一応作品見とくかってやつもおるし。基本的に1stの買って、というかジムとザクばっかり買ってる印象なんだけど
そいつはこないだも目当てのガンダム売ってなくて別のガンダム買ってお店梯子して目当て見つけて買って、みたいに複数ガンダム持ってるみたいなことが多い
全部自己完結してると悪い方向にしか繋がっていかないから、リアルの人間に聞いてみるべき。大学生なら相談センターのカウンセラーとか。仲いい友達は似たような思考でエコーチェンバーになるケースがあるから、他の視点を取り入れる気持ちで聞くのがいい。
ヘアスタイルとか服装とか努力してるのはすごくいいと思う、あとはやってるかもしれないけど眉毛整えることも意識してみてほしい。
男女は得意分野が生来身体のつくり的に違うし、考え方も千差万別だから、寛容になって自分も他人もどうでもいいくらいで受け入れられるようになれば楽だと思う。攻撃的な態度とか挙動不審な態度って結構貫通するし警戒されるよ
実際あなたが言う様に「(薬で肥るというよりも)鬱が軽快してきて軽い鬱になり、それを正そうとする脳の欲求(食べてセロトニン出そうとするなど)によって肥ってしまう」とかあるのかもなあ
母親がジョーブログをテレビのクロームキャストでシェアしてさ、たまたまどっかのアマゾンの川で超猛毒の毒蛇が出てきて、こいつは危険だとか言ってんの