はてなキーワード: 画廊とは
電車で知り合いに会った。けど無視した。だってキモイし、友達がいないって言う噂だ。
駅を降りて歩いていくと、画廊で個展が行われてる。安いし、いいと思うけど買わない。なんか面倒くさいし。
そのまま歩くとコーヒーが飲みたくなった。ちょうど喫茶店があったけれど、小汚いからいいや、マックで飲もう。
デブがハンバーガー食っていたので、共食いだと笑ってしまった。コーヒーを飲んで気分がよくなってしまったのだろうか。
メールが来た。メル友からだ。彼女の好きなバンドのボーカルが自殺したらしい。
キモイ。少し変なやつだと思っていたけれど、こんなメールを送って俺にどうしてほしいんだろうか。
どうして自殺なんてするのだろう、がんばったらチャンスはやってくるだろうに。
してほしくなかったこと
・階下からドア越しに聞こえるような大声で連日論争などしないでほしかった(それを起こさせた私にそもそもの原因はあったのだが)
・いきなりドアをぶちやぶって入ってこないでほしかった(自分の部屋=最後の牙城ではないと悟った。いつも臨戦態勢でいるべきだと知った。誰も信用できないと、
奪われたくないものは隠すべきだと学んだ)
・少ない小遣いで買い集めたレアなソフトを、ゲームが原因だと勘違いして燃やさないで欲しかった(これはいまだに根に持っている)
・一緒に食事を食べることを強制しないでほしかった(食卓=被告席みたいな面があった。普通の家庭を取り戻したかったのだろうが、私の恐怖感も察してほしかった)
・服装を整えることを強制しないでほしかった(身なりを整えておけばいつでも外出可能な状態だ、あとは気分だ、と思っていたらしい。誤解だ)
・自分のせいだとめそめそ自己完結しないでほしかった(誰がどう反省したって過去が変わるわけではない)
・置手紙などしないでほしかった(いかに心配かを書かれても、でしょうね、ってなもんで何の感慨もなかった。気持ち悪かったし、怖かった)
・他人事みたいに無責任に話さないでほしかった(深刻に相談しても大丈夫だ、とか、いいのいいの、としか言われなかった。親を無能だと思った。
理性的な話がしたかった)
・感情論や一般論で話さないでほしかった(一般的な状況に戻したいという思いはわかるが、やはり理性的に現実的な話がしたかった。世間体で話されても困る)
・言いたいことだけ言わないでほしかった(人の話を聞かない人だった。いつも、これだけは言っておく、と自分勝手に話が終わっていた。
親は自分が正しいと思っていたんだろう。実際その通りだったのだが)
してほしかったこと
・いつでも映画を見にいけるぐらいの金がほしかった(私の場合、ひきこもり=省エネ生活という側面が強かった。
必要なものは粗大ごみで拾ったり、図書館で調べたりして無料で補っていた。絵を描いたりゲームをしたりといったローコストな生活では社会につながらない。
労働や社会生活の素晴らしさを実感できるだけの行動範囲が欲しかった。都市部に行き、ライブハウスや画廊などを見たかった。
その先に何か自分が活かせる場がある気がしていた。だが金が無かった。どこへ行くにも電車代千円ぐらいは必要だ)
・ほっといてほしかった(あれはいいか、これをしなくていいかと纏わり付かれた時期があった。
いつ敵に豹変するかわからない人にそんなことを言われても怖いだけだった。貰えるものは貰ったほうがいいのか、とも思ったがとにかく不気味で面倒だった)
・味方してほしかった(意味不明だがそう思う)
・兄がほしかった(理性的で、同じ高さの視点で、頼れる、力を知恵を貸してくれる、自分を導いてくれる存在がほしかった。馬鹿馬鹿しいが本当にそう思った)。
たとえば「場」という要素がある。
はてな匿名ダイアリーという場に、「人の作品を勝手に自己満足と決めるほど貴方は偉いんでしょうか?」なんて戯言を書くのは間違いなく自己満足だ。
それは自分の作品を自己満足と言われることに問題を感じない芸術家先生やワナビーなどの「一部の人」の集まりの中で酒の上の愚痴にでもするしかないものだ。
「場」の属性を無視して、自分と「一部の人」にしか通じないような芸術作品や主張を「公共の場」を持ち出してくるような神経が、たいてい「自己満足」といわれる。
「自己満足」の「芸術作品」が作りたかったら個展でもやってろ。画廊や映画館や出版社は芸術家と「一部の人」の方だけ向いてるわけにはいかない。もちろん「一部の人」だけ相手にして食えちゃう芸術家もいるんだろうが。
テキストの投稿サイトはわりと古くからあり、確かに人とのつながりは得やすいのだが、才能が埋もれやすい場所だったとも思っている。もしもあの頃の小説の投稿サイトに奈須きのこがいたらどうなっていたか。おそらく、「読みづらい」とか「基本ができていない」とかそういう類の批判ばかりが集まったのではないかと思う。
写実的な絵を描かない画家の絵が小学校の展覧会に紛れ込んでいたらどうなるか。見に来た父兄たちは、うまい小学生もいるものだと思うだけだろう。同じ絵が画廊に展示されていたらどうなるか。買い手は値段を交渉したくなるかもしれない。作品の価値は展示する場によって変化する。
ニコニコ動画に「プロの犯行」というタグがつけられた動画がいくつもあるが、それでもやはり素人のものだとみなされているのではなかろうか。
個性的なスタイルの表現物は、ときとして場の雰囲気にのまれて目立たなくなることがある。作品の表現の場としての個人サイトは減少していくだろうが、一貫した作風を表現する場としては個人サイトの存在意義は失われないだろうと思う。
今日は部屋とパソコンのお気に入りを掃除した。どこに何があるのかわかるのはとても清々しいな。
今日の何よりの発見は、画像系のSNSだった。画像系のSNSというのは自分の写真なり、絵なりをアップロードして評価させ合うSNSである。
今まではお気に入りの中でくすぶっていたんだが今回、がっちり組み合うことにしてみた。そしたら、これがまた便利なのな。
ひとつは評価ランキングみたいなのが存在することによって簡単な検索で質のいい作品がすぐにみられるってこと。
なんでもトップアマから、セミプロ、プロまでいるんだから驚き。ランキング形式で弱者は淘汰されてって、
ランキングの上位は割と質がいいんだよなぁ。
もうひとつはお気に入り登録をすることで自分の画廊が作れること。また大抵のSNSは作品や作者を
お気に入り登録することができるみたいだ。そんで、お気に入り登録した諸群は、SNSのホームでルールに従ったりランダムに
サムネイルで表示されたり、それ専用の一画が設けられる。そこを開けばいつでも自分好みの画廊ってわけだ。
ちなみに今日、組み合ったSNSは画像はPixiv、写真はZorgってところ。Pixivはネットっていう媒体の性質上、
ポップアートが多数を占めてた。まぁ、ポップアート中心になるのは仕方ないんだが、他にもかっつりした肖像画とか模写とか風景画が
あればいいなぁ、なんてのは思った。こういうかっつりしたのは、やはり普通のキャンバスに書いたほうがいいんかね。
Zorgの方は好き好みのないなんでも屋で、こっちはかなり満足してる。
こういう鑑賞の仕方もあるのか、なんて今日はとても清々しいのである。まだ、試したことのない人は
ぜひ試してみることを勧める。そんで、他にもネットで楽しめるこういう文化があったらぜひとも教えてくれ。