はてなキーワード: バストとは
街はおっぱいだらけだから、僕は夏が嫌いだ。
嫌でも目に入る、目に入るから見てしまう、見てしまうというより、直視してしまう。
小さければそれで終わり、大きければ谷間を探す、形を想像する、変態かと言われればそうですとしかいいようがない。
それくらい僕はおっぱいが好きだ。
目に見える女性全てに食いつきたくなる、吸い付きたくなる。
でも僕はそれができる立場ではない。
先日僕は結婚した。彼女は24歳だから、僕より五つ下の、若妻と言って良い年齢の子だ。
性格もよく、家庭的で、贔屓目なしにしても可愛い。僕にはもったいないくらいの子なのだが、
しかし、一つだけ不満を言わせてもらうなら、おっぱいがない。
貧乳なのだ。
そりゃ出会った頃から巨乳ではないのは見て解っていたし、それでもつきあって、引かれ合って結婚まで至ったのだから、
不満を言うのも門違いであることは、よくわかっているのだけど、それでも今後永年、僕が甲斐甲斐しく、
誠実でまともな男性であろうと思ったら一生この町中にあふれるおっぱいたちと、ふれあう事ができないと思うと、悲しくもなる。
そもそもどうして僕は巨乳に引かれるのか。
幼少時代のトラウマか何かなのだろうか。
母親の愛を知らないわけではない、とりわけ悲しい人生を送ってきたわけでもない、記憶にある限りでは。
そもそも男というものはなぜおっぱいに惹かれるのだろう。
陰部に惹かれるのはわかる、本能だろう、生殖の為に必要な部分だ、惹かれずにはいられない、それはわかる。
しかしおっぱいはどういうことだろう。別に繁殖繁栄の為に必要かと言われれば、そうではないだろう。
たしかに赤ん坊の頃の大事な栄養源となることはわかるのだけれど、それならば男女平等であるべきだ。
男だけなぜおっぱいに惹かれるのだろうか。
朝から何を馬鹿な事を考えているのかと自分でも思う。
通勤電車、つり革にぶら下がりながら、前に座っている女性に目をやる。
なんとしたことだ、これまたおっぱいである。
僕は開いている胸元に谷間を確認する。
しかしそのおっぱいたちに僕が何ができるかといえば、何も出来ない。
出会う事もないのだ。
何かできるとしたって、僕は何も出来ないだろう。
僕は誠実でまじめな男なのだ。そして弱虫なのだ。
外に一日出て、平均で10おっぱい、それが毎日である。
家ではかわいい若妻が待っている、僕は何も口にしない。
そんな毎日がずっと続くかと思っていたが、転機が訪れた。
会社の健康診断の結果が返ってきて、自分の身体について見てみたら
胸囲が100cm以上あったのだ。
昨日送られてきた「バスト? 89だよ!!」というスパムメールに対して
という返信をした事を思い出した。
求める巨乳は自分自信が持ち得ていたのだ。
僕は自分の乳をもむ事にした。特に気持ちよくはないけれど、巨乳が手の中にはじける。少しうれしくなった。
変態のように思えるだろう、しかししょうがないのだ、法律が悪い。既婚者である僕が、24歳の貧乳の妻に対して、
甲斐甲斐しく、誠実で、まともな男性であるためには、仕方が無い事なのだ。
活路を見いだした。僕はこれで我慢すれば、幸せはずっと続いていくことだろう。
チュニック流行ってるからねー。
増田はボディの大きさに合わせるからいけないんだと思うの。
バストの大きさに合わせて選べばいいと思うの。
そんなに大きいのかー。いいなー。
それは「バスト92cm」と読むのだと思う・・・
身長とバストじゃ違うだろ、全然。身長を見比べるのがありならなぜバストもありになるのだ。要は「相手がどう思うか」なのだから身体特性が云々はほとんど関係ない。一般的にいって、身長を見比べられることよりバストのそれの方が嫌な気持ちをするであろうことは明白(ここを想像できないものははっきりいって他人とコミュニケーションするにあたって想像力がなさ過ぎる)。ゆえに身長よりより気をつけるべき。
「相手がどう思うか」が重要なら、「身長よりより気をつけるべき」ともいえないんじゃないの?バスとで悩む人のほうが多ければ身長で悩むものには気をつけなくていいなんてことにはならないでしょ。どんな人でも背丈より乳で悩むものだと思ってるなら、あなたこそ想像力なさ杉。
元増田が周囲のあまりの反応に消しちゃったみたいなんで再掲
俺の読み物のメモみたいなもので、晒すとかって意図はないので一応
http://anond.hatelabo.jp/20070803201851
元記事のブクマ
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20070802153440
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吾輩はひんぬーである。
名前はまななり。
どこに栄養がいったのかとんと見当がつかぬ。
何度も柔らかいぷよぷよしたところがいつか現れてくれる筈だと心で泣いていたことだけは記憶している。
吾輩は大学で初めてきょぬーというものを見た。
ま、そんなのはいいとして。
大学に入り、同じマンションに住んでいるのがきっかけで付き合いの始まったAは見事なきょぬー。
化粧栄えする十分に綺麗な顔立ち。
学費と生活費を稼ぐ為にラウンジでバイトをしている為、男のあしらい方もうまい。
やたらと周りに寄ってくる盛りのついた男子学生が調子に乗りすぎて時折痛い目に遭っているのを見たこともある。
私が声をかけられる事もあるけれども、大抵がAの存在に対する期待が透けている。
要するにその隣にいる事の多い私はただのおまけ。
最近は「つるぺた」などというもっと屈辱的な呼ばれ方をされたりもする。
先日の事。
前期試験も終わり、さぁ夏休みだと数人で食堂で盛り上がっていた。
海に泊りがけで遊びに行くけど一緒にどうだ、と。
花火とか色々持っていく予定だとか話すのを聞いている中、
突然Aが椅子を倒しながら立ち上がると、目の前にいた学生の一人の股間を蹴り上げた。
「ニヤけながら人のバストサイズ見比べてんじゃねぇ!」
私も気付いてはいた。
でも、まさかAがそんな行動に出るとは思ってもいなかった。
床に蹲って股間を押さえ、震えている相手。
それを尻目に振り返った彼女に「行こ」と促され、私達はその場を後にした。
時々見かける事のある彼女のきつい反応。
でも、その日はいつもにも増して激しかった。
暫く黙って歩いていたAは、暫くして口を開いた。
私みたいに胸張ってもおっぱい中心でしか見られない人間とは違うんだから。
ちゃんと好きになってもらえる」
だから私はあんたが羨ましい、と言われた。
なんでそうなる。身長とバストじゃ違うだろ、全然。身長を見比べるのがありならなぜバストもありになるのだ。要は「相手がどう思うか」なのだから身体特性が云々はほとんど関係ない。一般的にいって、身長を見比べられることよりバストのそれの方が嫌な気持ちをするであろうことは明白(ここを想像できないものははっきりいって他人とコミュニケーションするにあたって想像力がなさ過ぎる)。ゆえに身長よりより気をつけるべき。つーかそもそも、相手が「見比べられてる」と気付くほど、身長を見比べるのも十分失礼だと思うが。
ニヤけてしまうのも、普通は作為的に行っているというよりは単なる反応として現れるものだし、
んなアホな。ニヤけるのは反射ではない。考えて行ってる行為。それは言い訳に過ぎない。
百歩譲って一瞬意思と無関係にニヤけてしまうとしても、そんなものすぐにひっこめればいいのだ。元エントリの場合は長々といつまでもそれをやっているから失礼だと思われた。
なんでもかんでも相手のせいか?原因は相手ではなく、そう思ってしまう自分にあるだろう?そういう体をしているアイツが悪い、ってどんな言い分だよ。「自分は意思に関係なくそういう行為をしてしまうから仕方ない」というなら、「相手がそんな体をしていること」はそれと同じ、いや、それよりもよりそういう体だから「仕方ない」ことになる。君の言い分だとどちらも「生まれ持ってそうなっているから仕方ない」となるが、それならばなぜ、より直接的な原因を責めず、間接的な相手へ向かうのか?そもそも、「体つき」に比べれば「ニヤける」だの「見比べる」だのは明らかにまだ「自分の意思でなんとかできる範囲」だろう。
どんだけ甘えてんだこいつは。
バストは身体特性の一部であるから、身長を見比べるのと同じようにバストを見比べるのもまた普通に行われていいと思う。というか、絶対判断のみは不可能だと思う。大抵の人間は比較それ自体は無意識的に行ってしまうだろうけれども、その範囲が何処まで及ぶのかは、恐らく個々人によって異なるんじゃないかな。
これを前提として、その結果ニヤけてしまうのもまた致し方ないことだと思う。これは、単に美形は得てして笑顔で応対され、私みたいなキモメンはどこか引き攣った表情で応対されるのと同じで、ニヤけてしまうのも、普通は作為的に行っているというよりは単なる反応として現れるものだし、それ自体は当然のことだと思う。こうした現象は相手に責任があるというよりはむしろそうした反応を返される人自身が原因なのだから、そこからどれだけ相手が努力して抑制してくれるか(私の例だと、あからさまな嫌悪感を隠して引き攣った程度で済んでいる辺り)をこそ評価、賞賛すべきじゃないだろうか。
ちなみに、いわゆる貧乳派(統計的には貧乳は普通だと思うのだけれど)なので、巨乳のどこがいいのかわからないので、巨乳派それ自体を擁護しているわけじゃないよ。
ニヤけようがバストサイズ見比べようが、それはその人の勝手であって、それに不快感を持たれても困るというか、不快感を持たれることが不快というか、なんともいえない気持ち悪さが残る。
いや、あいつ胸でけーとか「思う」のは勝手だけど、当人の目の前でそれを顔に出したりあろうことか堂々と見比べたりしちゃだめだろ。「人をあざけ笑うるのはその人の勝手」とか言ってるようなもんだ。脳内でバーカとか思ってる分には勝手だけど、それをそいつに分かるようにしたらアウトだろ。あざけ笑った本人にその気なくても相手に伝わった時点でコミュニケーションは開始しちゃってる。ケンカ売ってるのと同じ事だ。「伝えるつもりはなかった」とかアホな理屈は通らないよ。相手に伝わったらどうなるか、相手がどう思うか考えて行動に移さねば。明らかに見下した態度でプッと笑われて、「不快感をもたれても困る」とか言われたら、それこそ困るわ……そりゃあまりに身勝手というものだろう。不快感を持たせるような行為をしておいてさ。(本当に見下した態度で笑ったのか、自意識過剰ではないのか云々はまた別問題として)
は「ニヤけながら人のバストサイズ見比べてんじゃねぇ!」と言われたいだけのアホ
ええー?E70?
自分はA75なんだけど、なんか胸大きい人扱いだよ?一体どうなってんの?
実際、鏡で見ると大きく見える。Aカップでぴったりなのに何故か。谷間っぽいものも見えるし、服は胸のトップのところにつられて浮いて、お腹には全く接しないで落ちる感じ。アンダーバスト大きいとウェストとの差が大きく見えるせいかなあ。本当に不思議。
ちょっと質問
俺、まだおっぱいのサイズのことよくわからないんだけど
カップって、トップ―アンダー差から算出するんだっけ?
アンダーバストってのは、要するに胸囲ってこと?
あと、バストサイズが小さくてもカップの大きい人はいらっしゃるんだよね?
21世紀、恋や仕事やセックスなどにおいて「人間力」の重要性はますます高まるばかりだ。しかし、同時に私たちは「人間力」の奴隷と成り下がることは避けなければはいけない。『人間力』を出版したばかりのモハメド・サファリ・ビデ教授(社会学)に話を聞いた。
―――昨年暮に、ビデ教授は『人間力』(ごま書房)をお出しになったわけですが―
ビデ はい、おかげさまで。
―――ですが、昨今の「人間力」に対しては批判的なスタンスを堅持しているように見受けられるのですが。
ビデ そうですね。「人間力」は現在、特にヒューマンマネージメント界隈で濫用されている言葉ですが、もともとは社会学、とくに歴史社会学の厳密な議論の中から生まれてきた概念であることをまったく考慮されていない点は大変危惧していますね。
―――進化論を語る人の大半が、ダーウィンの原著を読んだことさえない、みたいな状況でしょうか。
ビデ ああ、それに近いですね(笑)。「人間力」というのは、まあ、直感的にわかりやすいでしょう?「人間」の「力」ですから。そこに、そもそもの誤解が生まれる余地があったのでしょう。
歴史的に見ると、「人間力」は、フランス系移民でありムチャパッカ王国の民俗学の権威、プロフェッサー・アナール de オナール氏(1915-1960)によってまず最初に提唱されました。非常に複雑難解な理論だったそうで、しかもかなりの攻撃的・先進的な性格を持った内容であり、当時の学会からは異端視され続けたことが明らかとなっています。
―――オナール氏の「人間力」理論が生まれた背景はどのようなものだったのでしょうか?
ビデ 数々の史料が明らかにするところによれば、ある時オナール氏が友人と風俗店に行ったときの出来事が直接のきっかけとなっているようです。2 人で行った風俗店で彼の友人が「Et mov li’nouvi moe favos noch…(特別なサービスがあったデヘヘ…)」と充実した顔で出てきた時、「Cheuvi oi montre favos noch o va monte! (同じ金払ってんのにオレには無かったぞッ)」と怒り狂い、オレには何が足りないのか?勉強もコイツより出来る、ルックスもそう悪くない、ナゼ?ナゼなんだ?オレには一体何が足りず「特別なサービス」が受けられなかったんだーっ!?と、風俗店の前で悩んだ事がキッカケで、人間の本質を見極めるべく彼の一生を賭して挑んだと証言されています。
―――なるほど。
ビデ その後ムチャパッカ王国はムツゴロウ王国と併合(ムチャゴロウ紛争1962??63年)、それに伴い論文「人間力」は歴史の裏側に葬られてしまっていました。しかし彼の論文に感銘を受けた一部の科学者が政府の目を掻い潜りながら秘密裏に「人間力」理論を元に個人の「人間力」を算出するマトリックスを確立、現在に至ります。近年では情報機関「A.N.A.R.U」をはじめ政府機関、一部の世界的トップ企業などで人材採用時に使われています。
―――その人間力「マトリックス」とはどのようなのものなのですか?私たちも利用可能でしょうか。
ビデ 「人間力」マトリックスは非常に複雑であり、正確な算出には困難が伴います。しかし勉強ダメでも仕事がデキる(どうして?)、ブサイクなのにちんこがデカイ(いつ使うの?)、バスト90でウエスト80(巨乳なのか?それは巨乳なのか?)等、いいのか悪いのか?何が足りないのか?目には見えないスキルを持っているのか?という事を人間として総合的に一目瞭然で判断する事の出来る素晴らしい公式であるという点では、非常に精密であり強力な理論です。
―――それは恐怖ですね(笑)。逆に言えば、支配権力によってに容易に利用される危険性もあるのでは―
ビデ そのとおりですね。したがっていま我々がすべきことは、人間力を批判的に読み解くこと、つまりA.N.A.R.U.リテラシーの育成のです。そして、そのためにはアナル教育が切に求められています。
―――今年もビデ教授は、アナル=アナリストととしてますますご活躍されることでしょうね。今日は貴重なお話をありがとうございました。
[Acknowledgements]
This interview is inspired by and based on http://d.hatena.ne.jp/nosweat/20051202/1133514330.