はてなキーワード: ハングリー精神とは
別段、正当化するつもりはないよ。というか、正当化する必要性を感じない。
助言は助言。
蔑称っていうけど、
オマエの子供はゆとりだ。というのと、子供がゆとりになっているかも知れないから心配(気をつけなさいの意味)。
前者は蔑称というのは、わかるが、後者まで蔑称と言われたら助言なんかできない。
言葉を選べという意味だろうが・・・助言する方まで言葉に気を使ってって、どんだけだよ。
まぁ、今後気をつけるけどよ。
そもそも『ゆとり』という単語が現代ではわかりやすいだろうと、使ったけど。
昔から『3代目は身代を潰す』じゃないけど、家庭が裕福だと、ゆとりが過ぎてハングリー精神が育たず事業をツブしてしまう。
というのは、いわれていて。別に昨今始まった概念じゃないと思ってる。
『見当違いかも知れないけどXXじゃない?』
『いいえ、違います。』
『そうか、ならいいんだ』
という使い方だろ、見当違いというのは。
オマエはバカだ。見当違いかも。
という使い方をしたならツッコンでくれ。
想像力妙に膨らませてるけど単に家計状況を知らないだけじゃないの?
逆に俺が想像力膨らませてみるけど単に小遣い貰ってる大学生が気に入らないで否定したいだけじゃないの?
親から小遣い月一万貰ってる程度で「ハングリー精神のないゆとりで社会に出てやっていけるか」って発想自体が飛躍しすぎだと思うんだけど。
すれ違った赤の他人に、
素晴らしいな、自分は全然だな、って思う気持ちが同じなら
敗北感を感じるのも、恋愛感情(あこがれ)を感じるのも、
プラスになるほうがいい。
惚れてまうやろー!って人なら、
その人に近付きたい、学びたいって気持ちでプラスになる。
井戸の外の人間から見たら、愚かで矮小な存在かもしれないけど、
井戸の中から見上げた小さな空の青さは、外の人間からは想像もできないものだろうから。
外と比べたらほんのわずかな井戸の中の世界は、蛙にとって、沢山の重要な意味を持つから。
空に恋してもいいと思うんだよね。
井戸の中だと知ってても。
ただ社会への不安を煽る事のみの論が嫌いだ。
言われなきゃ不安とも不満とも思わなかった事まで政治屋やマスコミの流す情報に煽られてそれがいつの間にか不安で不満であるかのように煽動され思わされてしまう。体制のする事を無批判に受け入れろとか臭い物に蓋をしろとは言わないが、こういう輩のいかにして庶民の不安を煽り、それを党利党略や発行部数視聴率に結び付けて利用しようかというあざとさが鼻をついてしょうがないんだ。こういう人たちが嫌いだ。
どうやってその対象にツッコンデやろうかと目を皿のようにしてジーーーって観察してる輩は世の中には腐るほど大勢いるけど、それがさほど為になってないのは、口先だけでそれを社会の繁栄の為に建設的な結果へと昇華できるほどの智慧も心も行動力も持ち合わせていない人がほとんどだからだよ。批判する側に総合的な人間力が圧倒的に足らないんだ。
だから増田みたいに何も成さないでネガティブなストレス発散に終始するんだ。
行動しない小善人よりも行動する偽善者のほうがよっぽど百万倍社会の役に立ってるよ。政党の命は実績だ。いい仕事を残す事だ。現状を嘆くよりも現状の打開に挑戦しゆくハングリー精神だ。
偽善者も善を目指して行動を貫けばやがて本当の大善人となると言う物だ。
現状嘆いて傷なめあってテレビに映るニュースに野次しながら家で酒のんで評論垂れて憂さ晴らし。
その沈鬱な現状を打開するには強烈なリーダーシップが日本には必要なんだ。
だから選挙行く。
Nスペ『インドの衝撃??第1回 わき上がる頭脳パワー』見たよ。
数学を教育の軸に置き、国を豊かにする理想に燃え、未来が約束されてるハングリー精神の塊みたいな連中がわんさかいるわけさ。学歴が上だの下だので悩むこともないわけよ。世界には日本の偏差値70以上くらいの頭脳とそれに見合ったインセンティブも約束されてる連中がわんさかいるわけさ。
トーマス・フリードマンの『フラット化する世界』も読んだよ。
後半ひたすらIT化が進んだ時代の教育の在り方を延々と書き綴っていたさ。「愛国心教育」なんて目じゃないわけよ。
おまえらさ、あいつらと戦えるの?この現実と向き合えるの?
学歴社会を否定する気は毛頭ないが、肯定すべき根っこの部分ごっそり失ってると私は思うよ。