はてなキーワード: イスラム教徒とは
多分煽りにくいんじゃないかなあと思う。
アメリカに向けて自爆テロを行うよう指示するメッセージテープなんかだと
そういうわかりやすい要素を持って煽る事ができるけど、
日本ってそもそも国内にイスラム教徒って少ないし、煽る要素が「アメリカのポチ」ってところぐらいで
(それも過去にはそのアメリカを相手に戦ってたわけだし)それを煽りに使うにはちょっと押しが弱いかな、とも思う。
結局アルカイダの構成員よりも構成員じゃない一般の人々がラディンのメッセージを見て触発される事が大半なわけだから
イスラム教徒が少ない+煽りにくいってのは標的でも攻撃し難いのかな、と。
まったく根拠がないけどな。
はじめに言っておくと、宗教を擁護する立場じゃないよ。個人的にはあらゆる宗教に対して全く逆の立場だよ。神やら仏やらがいるって立場からの説教まじうざい。たいてい、信じてない言うとキレるし。
本題。極端な話、頭ではたとえ嘘(というか、「私が神である」って言うのと同じくらいにありえないナンセンス)とわかっていても宗教をやっていることに価値はあると思うよ。宗教そのものから何の利益が得られなくても、むしろ損害を与えられるとしても、それでも価値はあるかもしれないと思う。
例えば、やめようとする信者に対して、うんざりするような超長時間にわたって説得をしたあげくいざやめたら嫌がらせするとか、そういうカルトがあったとする。すると、このカルトから抜けることによって人災を蒙るわけだ。なら、やる気のない一信者でいた方が得かもしれない。
例えば、ある宗教の信者の中には、やめた信者に対して、宗教に対する敵対と思いこんで凶行に及ぶ狂信者がいるかもしれない。極めて無神論に近い思想で知られる哲学者スピノザは、ユダヤ教を破門された際に襲われていたりするし、現代でも、悪魔の詩の作者ルシュディとその関係者はイスラム教徒によって抹殺されたり、されかけた。
上記ほど凄惨なことにはならなくとも、なお人間関係などにさまざまな影響が及んでしまうのは避けられないだろうし。もちろん、抜ける場合だけではなくて、新たに入る場合にも人間関係に大きな影響があるだろうけれども。人間関係のためにやめられないって人間は多いと思うよ。入信したが最後、人間関係以外の点で面倒なことになってしまうこともあるし。多くの人はあえて面倒なごたごたをしてまで檀家やめようとは思わないでしょう?
もちろん、宗教が無ければこんな面倒は無かったって意見もあるのだろうけれど、既に存在しちゃってるのだからしょうがないじゃない。大型家電の廃棄に金掛かりますというなら、持っててもいいやってなる人がいるのも頷ける話でしょう?
http://anond.hatelabo.jp/20070620001103 を書いた者です。
エホバの証人が応えるんじゃなくて、あくまでもオレが応えるということでお願いします。
まずは http://anond.hatelabo.jp/20070620002148 から
あー、あるかもしれないなあ。エホ証内では男性信者("兄弟"と呼ばれる)は色んな役割("特権"と呼ぶww)を与えられるんだけど、オレも集会で協会の出版物を朗読する当番が当ったりするのね。で、時々、翻訳調の面白い言い回しがあって笑いそうになったりする。というのも、協会の出版物はアメリカの世界本部にいる偉い人(皆平等という建前ではあるけど)が書いてるはずなので、どうしてもアメリカ視点が入るんだと思う。挿絵とかの人種に関しては、最近のはアジア系もきちんと書かれてる気がしますけどね。写真は確かに黄色人種少ないかも。書いてて思い出したけど、何年か前の地域大会(一年で一番規模の大きいコンベンション)の主題が「神の命の道」から「神の生き方」に変わったことがあったんだけど、これは"God's way of life"の訳し間違いだったらしい。アメリカ主導なんやなって思ったのを思い出した。
工業系の高専しか出てないのであまり知識はないんだけど、イスラムってイエスをメシアと認めてないんでしたっけ、その辺気になるんじゃないっすか、"キリスト"教としては。というか、同根だけどいがみ合うものなんていくらでもあると思います。元祖・本家の争いとか。キリスト教とイスラム教 の対立じゃなくて キリスト教徒とイスラム教徒の対立なんじゃないっすか? 人ですよ人。
・教義も知識であり、経済知識も知識である点について(勉強して、他人を受け入れる素地さえあれば経済系につよい弁護士かフィナンシャルプランナーに相談すればよかったのでは?)
確か借金に関しては弁護士に相談してたはず。そっちにもっと感銘を受けてたら今頃司法試験に受かってたかもしれないですね。でもそれは「たられば」だし今結果として自分の状況があるわけだからそれを否定する気にはなれないなあ。
お金を持っている人ほど他人に寛容、他人を信用するという話がある、その良循環に外から飛び込むツールとしては宗教はよくできているが、政党という形になって(特にアメリカで)科学的、論理的な事柄に対して圧力を加えるのがマイナスである。もっといいとこ取りすればいいんジャマイカ。たとえば、奥さんも子供さんも神権うんぬん以外の実用になる資格を取るつもりはないのか。TOEIC800点とか、それだけアメリカの時事に詳しければとりやすいぞ。
ふむ、宗教一般としての話ですか。宗教が政治に圧力を加えるのはどうかという事なんだろうけど、宗教以外の圧力団体はどうなんでしょう。アメリカだと、ライフル協会でしたっけ? その辺とか。圧力をかける根拠が宗教上の信条より金儲けしたいという気持ちの方が理解しやすいって事なんですかね。そのどっちがいいのかはよくわかりません。あと、読み違えられたのはこっちも悪いんだけど、オレは結婚してないし、開拓してるのはオレの母とオレの妹です。それと、アメリカの時事に詳しいというのはどこから?
日本以外の国の人が全て信仰が篤いかというとそんなことはない。
家族全員が敬虔なクリスチャンでも、神なんていない、キリスト教のガチガチな信仰は気持ち悪い、と言ってる奴だっているし、
イスラム教徒でも日本に来たら酒飲んで肉食ってる奴なんて珍しくないよ。
(無神論はひとつの宗教だ、なんて言う人もいるけど、あれは宗教じゃない。
でもそのへんの話はまた長くなりそうなのでここではしない)
http://anond.hatelabo.jp/20070419222805
男の側と女の側のニードを一致させるのはなかなか大変そうだ。いい男一人に女三人としても、これを一夫多妻のような恒常的な状態で保とうとすると相当の器量が男の側に求められるんだろう。流動的な関係ならこの限りではないけれど、流動的な関係で喜ぶのは男のほうばかりで、女の側はあまり喜ばないような気がする。
シングルマザーという手がある、とは言うけれど、まだまだ一人の子育ては過酷だ。留保の無い子育ての肯定を役人達に主張するという手もなくはないが、役人達の打ち出の小槌だけでは補いようのないものというものは、ある。いわゆる恋愛関係ならいざ知らず、子育ても視野に入れた関係となると、男の側に求められる器量というものは簡単には無視できない。
ここら辺の非対称な事情が文化の多様性によって十分に希釈されているなら、何も言うことはないだろうが、文化によって雌と雄の繁殖に関する非対称性が希釈するのはなかなか困難だと思う。よって、この問題が一夫多妻に傾くと、一部のタネつけ男達以外の、あぶれた男性と大抵の女性にとってフラストレーションの高い状況になりそう。
それか在りし日のイスラム教徒のように、戦争して男が死に、占領して土地を得て、という状況が続いて女性があぶれやすい状況になれば話は変わってくるかもしれないが、それはそれであまり幸福な状況ではなさそうでもある。
「カッターナイフで指先を切って血が出た」「金槌で親指を打ちつけた」「タンスの角に小指をぶつけた」
ならば経験があるので感覚を想像できます。が、経験しようが無い「心を切り刻まれた」という、
「心」なんておよそ実体の無いものに一々傷ついた傷つけられたと言う人間の感覚がよくわからないのです。
言葉が単なる文字の羅列では無く実在の凶器にも勝ると考えている人の意見を多々聞いてきましたが、それは
特定の人種、信条、性別、社会的身分の人間をピンポイントで殺せる道具が有り得ると考えているわけで、