はてなキーワード: はイクとは
俺も「いじめ」というのはおかしいと思ったが、お前の行動はそれ以上に目に余るし、これがいじめ否定派かと思われると困るのでコメント。
おっさん排除してるのおまえらじゃんww
いじめ派に「学級委員長」という負のレッテルを貼って全面的に意見を聞こうとしないのはd:id:massunnkのほう。主役であるおっさんの意見を丸呑みしてはいけないことは確かなのに、それすら理解しないのは「あたまがわるい」と言われても仕方がないと思う。それに、おっさんをハゲというのはオーケーで、それの可否を問うのはダメ、ってのは自己矛盾じゃない。
「学級委員長」とレッテルを貼った側の意見を全く読んでいない(読めていないのかな)のは、さすがに問題かと。massunnkが問題視している部分はきちんと注釈が加えられていて、それを読めば大筋で納得できる気がするんだけどなあ。
とか何か分かったようなこと言って何も言えてなくて空振ってる要は勇気がないんでしょ?とか
文章の節々から、massunnkにはそもそも対話をする姿勢がないことは見て取れるし……。
むしろファシズムってのは君らみたいに「同情」みたいな感情的な要素を「政治」に持ち込んだことによって起こったって話、知らないのかな?ふーん知らないか、まぁいいや。
ファシズム理解してないし……。
俺が気になってるのは「排除はイクナイ!いじめダメゼッタイ!」って言ってる君らが自分のやってることに鈍感で「排除」してたり、もしかしたら「いじめ」てるんじゃないかって可能性を考えてないんじゃねーの?てこと。
お前の論理からそれは導けねえし……。
俺だって「いじめ」無くしたいって思ってるよ。ただ君らの方法じゃなくならないってことは小中学校で十分学んだからこうやって嫌われ者買ってでも言ってるわけ。
お前から「いじりだよ!」っていっておいて、「いじめかいじりなんてそんなの関係ねえ!」ってどこのバカだよ……。それにリンク先の記事読んだらいじめが発生する環境について考察してあるし……。
まず、戦争の原因すべてが一神教の信仰だとは言ってないよ。一神教同士だと信仰のために、他の一神教の集団と殺しあうケースがあって(一神教を信じる集団が、一神教であるがために異教徒と争ったという話は、「宗教戦争」でググればごまんと出てくる)、ならば一神教を信じれば救われる(救われるの意味は、元記事参照のこと)とは言えないといったかな。
でも、これは飛躍しすぎた意見だった。撤回するよ。一神教を固持しすぎて、殺し合いに発展するような過激な信仰は良くないというべきだった。他宗教との共存を認めるような宗教なら一神教もオッケーだと思う。
それから、多神教の地域で起こる戦争は、多神教が原因じゃないんじゃないの?多神教を支持する集団が、多神教であるがために異教徒と争ったという例をおれは知らない。あるかもしれないけど、どうなの、その辺。
価値観の対立も利害の対立も意味は同じだとおもう。これは同意反復では?
この意見には、うまく反論できてるか分からないけど…他宗教の集団を殺したりするような種類の一神教(イスラム過激派みたいなやつね)を押し付けあうなら、そういう一神教はイクナイ。単なる「押し付け」じゃなくて、今言ったような条件がついた「押し付け」がイクナイ。これなら「意見の押し付け」をしても、論理的に破綻はしてないんじゃないか?(念のために言うと、おれは意見を一方的に押し付けないよ。議論する。自分が最初に出した意見が間違っていれば変えるし、相手の感情を害した場合は謝る。)
つれづれにレスする。
脳みそで再生される記憶に、現物と同じような価値を見出すようになるからかも。言い換えれば、しゃべり、本を読み、文章を書くようになるつれて、言葉からの想像(記憶のコラージュ)だけで興奮できるようになっていくってことじゃないかと思う。
最近おれは、五感から入ってくる情報に良いとか悪いとかの意味づけをせずに、感じ取れるようになれないかと思ってる。たぶん、全然ちがう世界観が生まれる。世界観というよりは、ただただ、ありのままの世界を見てる感覚かもしれない。最近、ホッテントリに上がったワイアードビジョンの記事で、確か、脳の左半球の機能が脳溢血で一時的に失われた女性の学者の話があったけど、彼女いわく、見慣れたハズの自分の手が、熊手のような得体の知れないなにかに見えたんだとか。これなんかは、脳溢血によって「自分の手」を…食べ物を掴んだり、ボールを投げたり、あらゆる仕事をこなす道具…今までそれを使ってきた様々な記憶…そういった意味づけから離れて、見ることができた結果なんじゃないかと思ってる。そういう認識を、病気にならずにしてみたいんだよね。
なんか、昨日沸いてた学歴君とか見てるとかわいそうになってくるんだ。自分で世界に貼り付けたラベルから逃れられなくて苦しむの。その自分中心の手前勝手なラベル貼りで、逆に自分が苦しくなってくることに、彼はいつ気づくのだろうか、とか思っちゃう。世界にどんなラベルを貼るかなんて、個人がいかようにも決められることだというのに。自分のラベルの貼り方が絶対だと思ってるんだ。「これはイイ」「これはイクナイ」「おれのラベルの貼り方が世界一だ。唯一最高の貼り方だ」ってね。でも自分で貼り付けたいラベルを、現実には自分に貼り付けられなくて苦しむ。最高の私像みたいなものがあって、でも現実には、全然それに届かない私がいて、たぶん、彼らは苦しんでる。あるいは、自分に都合のいい形での最高の世界像みたいなものがあって、現実の世界がそれに全然似ていないからといって、嘆き悲しんでみせたりする。場合によっては、こんなにみにくい世界がいけないんだ、おれは悪くないとか言っちゃって、しまいには世界を変えるとかなんとかいって、過激な行動にでたりする。なんだかな、とおもう。醜いだのキレイだのラベルを貼ってるのは自分だということに、こういう人って気づいてないんだ。
しかし、非モテでもない
ここ数年、「彼女がいないよー。寂しいよー」とかいう期間は殆どない。
彼女と別れると、待ってましたと言わんばかりに別の女が告白してくる。
…問題はその後だ
その寂しさのせいであまり考えずにオッケーしてしまう。
自分だって相手がいないから
「ここで振って次のが見つからなかったら…」
とか思う部分もあるしさ…
後は分かるでしょ?
結局、そういう場合は俺が最後には振られるんだな
まぁ、ある意味では楽。
自分から言い出すのも辛いしね
えぇ、ヘタレですよ
先日、それまで付き合っていた彼女と別れた。
気付いたら一緒にベッドに入ってた。
「彼女にしてくれるんだよね?」
…なんか冷めちゃって結局しなかった。
結局、今でも一人生活。
はてブ、増田、はイク等、はてなには暇つぶしにいいサービスが沢山あるし、定番のVIPもある。
暫くはそういうので楽しんで過ごそうと思っている。
仲がいい友達が言ってきた
「お前さー、ここ最近のって自分から告白したことないよね?」
何となく心に突き刺さる言葉だった。
http://anond.hatelabo.jp/20080213211710 の続きの続き。
老人ホームに移った祖母は、常に悲しんでいた。元々人見知りの性格もあって、共同生活になかなか馴染めなかった。それは亡くなるまで変わることはなかった。
タラオは何度も会いに行った。他の人たちも休みになると何度も行った。実は、嫁も行っていた。ウキエやイクラを連れて!
それを知った皆は開いた口がふさがらなかった。けれど、祖母の前では何も言わなかった。今まで数十年一緒に暮らした嫁や孫達に捨てられたなんて言えなかった。それに、祖母はイクラのことをとても可愛がっていた。どうも子供の頃のタラオと区別がつかない部分もあったが、本当によく可愛がっていた。そんなイクラに会わせないわけにはいかなかった。
でもそのうち、祖母も会いに行く側も精神的に辛くなってきた。会いに行くと祖母は泣きはじめ、会話をしてもほとんど答えず、「家に帰りたい。家に連れて行ってくれ。そうしたらもう死んでもいいから」と泣きながら叫ぶだけだった。会いに行った人間は何も言えず「もうちょっと体がよくなったら」「暖かくなったら」と誤魔化すことしかできなかった。
だんだん会いに行く間隔が長くなった。「会いに行くと感情的にさせてしまうからよくないかもしれない」なんて自分に嘘をついて。これは今では一番の後悔だ。