はてなキーワード: 司会者とは
なんかやたら野次馬が来てるんだけどみんな議論には参加せずにメタレベルの発言ばっかしてるんだよね。ジャッジか司会者みたいなやつばっかり。
どのくらい前だろうか、グッドルッキングボーイズだとか、そういう名前の番組をたまたま見たんだ。
イケメンが時間内に何人の女性の携帯電話番号を聞けるか競ってたり、誉め言葉じゃない侮蔑語としての「バカ」が似合う番組で「アホだなぁ」と永久歯がポロポロ落ちるんじゃないかという思いをしながら見ていたら、その中のトークコーナーでロンゲで金髪の赤ちゃんみたいな可愛い顔をした男が逆ナンパされたときのことを話していた。
話の内容は、風邪を引いたので病院にいったらそこの女医から診察中に携帯の番号とメアドを聞かれたという「それで先生、病気は?」的な羨ましいエピソードだった。
新鮮な時間だった。このコーナーを見ながら、私はこみ上げてくる嬉しさを、抑えられなかった。
常日頃から感じていた憤りが私の中にはあった。
それは正直者がバカを見るような現代社会の仕組みについてではなくて、テレビ番組に出ているイケメンと称されるタレントたちについてだ。
彼らはバラエティ番組などでイケメンという謎な肩書きで登場するのだが、司会者に「モテますでしょう」と聞かれると決まってこう言う。
「いやいや」
彼らは決まってこの話題になると黙して語らず、なのだ。しかし、美形がモテることは世の道理なのでこの「いやいや」は「いやいや(全然モテませんよ)」ではなくて「いやいや(そんな話できませんよ)」なのだ。
司会者もどうせ否定することを想定してこの質問を投げかけてる。
モテない組はモテないエピソードをネタにしたりしているのだ。美形もそうしてほしい。
こうやったらモテる、じゃなくてこんなモテ方をした、が聞きたい。
美形タレントが顔を出して、客を想定した形で楽しげに披露する。
私は美形が「モテますでしょ」と聞かれて「そうなんですよ。この前こんなモテ方しましてね」とフランクにモテエピソードが話せる世界を望む。
何より山下智久や成宮寛貴だとかのテレビに出てくるような美形のモテトークが聞きたいのだ。
きっとすごいモテ方をしているはずなんだ。
ダメすなぁ。ついに夜中にレディへ聴きながら涙ぐむような精神状態になってきたすなあ。ざ・ファッション欝でございます。ファッション鬱ほどヴざいものはないよねー。「もう死にたい…」。じゃあさっさとしねばいいじゃない。
さて、じゃあ死にたくない俺はなんと罵倒されるのが妥当なのでしょう。「じゃあ生きればいいじゃない」とかですか?頑張って生きてるんだけど、いかんせん右手の親指が痛い。キーボード操作でゲームやりすぎたせいで右手の親指が腱鞘炎疑惑。俺がグレイプバインのベーシストであったならそろそろ脱退の時期であろう。それぐらい痛い。
そんな俺はいわば少し鬱っぽい時期の堂本剛。どんなに貸す散るのパクリ歌唱とみんなが石を投げ付けようとも俺は堂本剛をかばいます。彼は緑色のグレッチを所有している好青年です。それに比べて、トキオ松岡の俗っぽい司会者ぶりといったらありゃしない。なんかたまたま動画見ただけだが、あれはひどい。僕は彼と対峙する勇気がない。
だからどうしたのかとトハレ?トワレ?今ガチで「問われる」の読み仮名がとびました。ダメかもしれない。だんだんと「鬱っぽいってウソだろ」という視線が集まり始めた気がしています。それとももう最初の産業で…三行すら変換できないこの携帯と付き合っていく自信がもうありませんが、確かに俺は全然鬱ではない。当たり前だバカ。ただ、なぜこんな真夜中に真っ暗な部屋で携帯を握り締めて痛みの走る親指を酷使しているのかと問われれば!トワレれば!コメントでもつけばなんとなく日常の幸せ量が増えるからだと言いましょう。
昨日、大学にゼミの何人かで集まりましてね、課題の文章を泊まり掛けで書いたりしていたわけなのですが、もう終わったら終わったで酒が飲みたくて飲みたくてね。普段ジュースばっかだから、家で酒なんか飲みませんよ?下手したら毎日Qoo飲んでOLから絶大な支持。まぁ飲んだかは定かにいたしませんが(ここで、元野球選手の定岡ってもうテレビでまったくみねえなと思う)、酔っ払ったときの自分の笑い方の特徴を把握した、とだけ言っておきます。
久しぶりに何にも考えずテンション高くなれて非常に楽しかった。あまり現われることのない、適度にテンションの高い自分のことを俺は愛してます。そんな愛すべき俺は、「日常のモチベーションって何で保ってるの」と聞かれ、とても言語化するのが難しい議題だなあ一体俺は何が楽しいのでしょうと思いつつ、「なんか日常の小さな幸せの積み重ねとか」と答えていました。素面の下等民族である今の俺では到底言えない台詞。惚れる。いっそのこと掘られてもいい。俺のケツなど消耗品だ。確かに毎週月曜にジャンプが読めなくなったら俺の目は死ぬ。ちなみに、鏡を見るたびに俺は目が生きているか確かめますが、今のところなんとか生きています。こうして俺はもうしばらくしたら、電車の中でジャンプを読むサラリーマンの仲間入り。
ここでさきほどの日常幸せ量子論に帰結。
確かにクロノトリガーを三日間ひたすらプレイし、時間を無駄遣いした俺はバカです。じゃあアレですか。もっと学生時代にしかできない有意義なことにでも時間を使えばいいのだろうか。有意義なものってなにかね。できることであるならば、それこそ毎日酒飲んで殴りあいでもしてクソみたいなことを共有することのほうが比べものにならないほど重要視するべき(一番)。 いや、まあ全部ウソ。ホントは俺だってたまには充実した日常の光景でも日記に晒したい。やりたいことがある、頑張っている人間が輝いている(二番)ことぐらいゆら帝風に言えば俺は三歳で気付いてます。
で、この本音と建前、どう扱おうか。どっちもいらないんじゃないか説が出てくるわけで、なんかアレだ。うまく説明できず、ハルヒの長門風に言えば情報の伝達に齟齬が発生するかもしれませんが、ネガティブな意味ではなく、現実逃避なニュアンスがない感じで、「一体それが何になる」だ(三番)。
以上、この三つをバランスよく組み立てて臨機応変に生きたいものです。二番目多めが一番よろし。要は、得たことなんて最終的には死んでしまえば全て無くなるし何の役にも立たねえと思いつつもそんなことはおくびにもださず人生には手を抜かず輝く人間。これが理想。
http://anond.hatelabo.jp/20070218013048
犯罪と障害を一緒にくっつけて考えるとややこしくなる。
犯罪は障害者だろうと健常者だろうと、それは犯罪だし、罰せられる。
以前の三歳児を突き落とした彼も、障害者で作業所に通うと報道された。
けど、三歳児を落としたことが罰せられるのであって、障害者だから三歳児を突き落としたわけじゃない。
仕事が嫌だからというのは動機だけど、それと障害者だというのは関係あるのだろうか?
本当はある。
けど、それは健常者が提供しているサービスとしての作業所の現状が雇用する障害者にとってメンテナンスまで機能していないことが考えられるし、もし一般雇用された場合でも障害という部分に理解のない集団だとしたら彼がストレスなく生活出来るのだろうか?
ただ、障害者の痴漢行為があるとして、それをしない社会的技能を教えることができる人材をこの社会は作ることができているの?
この日本の社会は多くの日本語を使える健常者に合わせてつくってあって、それ以外の人に合わせて作ってあるわけじゃないのにね。
もしそれを真剣に取り組むことができる世の中なら、健常者の痴漢だって減るんじゃないか。
そして何度もの懇願のすえに男は私たちのクラスから姿を消した。謝罪も何もなく。
そして警戒していたもののやはり尻を触られてしまった。
ここまでは、事実としての経過。
今なら周りの大人の対応や言葉の選び方が悪かったのだとわかる。
だけども、あちら側にまったくの責任がなかったとはどうしても思えない。
その人に合った教育を受けさせなければいけない。
知的障害者は確かに生まれながらに不本意なハンデを背負っている。
これらは筆者の考え。
被害者が語る犯罪は、それはやっぱり体験した状況や加害者の情報が加味される。
被害者の抱える=抱いた問題がそのまま社会全体の問題でなくて、その「事態が起こるまでの加害者の生きて来た背景や環境」とその「事態が起こった後の引き起こした本人と周囲の対応や反応」は分けて考えるべきだ。
私はあなたが受けた行為に対して同情はするし、その行為で知的障害者に対して嫌悪を抱く気持ちも分からなくない。
だけど、"知的障害者"も健常者も合法的に犯罪が許されるわけじゃないし、社会に出るのに不適切な人間だからと隔離されるべきでもない。
Aという人間にBという人間が「それはしてはいけない」と伝えて、それに対して説明する責任は「いけいない」という側にある。
「私にとってそれは気持ち悪いから止めて欲しい。」というのもその説明の一つになるだろう。
当時、怖くて出来なかったのなら仕方ないし、これからそうすればいい。
自分の素直な考えや気持ちを相手に伝えることが私は大事なんだと思うけど。
それでなくても健常者が町中にいる障害者に声をかけるなんてほとんどしない。
健常者が赤の他人の健常者に話しかけることをしないように。
自らコミュケーションを断っておいて、某有名テレビ司会者のように「不適切だから隔離」はない。
それでも通じないなら、通じる人にきちんと伝える方法や上手い介入を考えるのが健常者なのだから。
もしその方法を持たない場所や環境にいたのなら可哀想なことだけど。