「○○を支持するのか」みたいな○○の中に「モノ・コト」ではなくて、「人・陣営」が入る思考形態ってムラ社会的だと思う。
振る舞いの"正しさ"の基準の単位は「人・陣営」ではないよね??
どんな聖人でも間違った「モノ・コト」をすることはあるよね。ならば「モノ・コト」単位で是々非々で判断するのが基本であるべきじゃないの?
政党政治みたいに投票の単位が「人・陣営」に制度的に規定されている場合はまあわかるけど、具体的な「モノ・コト」をすっ飛ばして「○○人を支持するのか」みたいな単位で考えるようになるのは危なくない?
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