2022-11-26

もしかしてかに感謝するのが屈辱的だと思う人がけっこういるの?

休暇のために業務調整してくれてありがとう、とかお店のレジありがとう、とかご馳走様とかを「感謝必要なんてない」といちいち咎める人がいる

当然の権利であることと目の前にいる労力を使った人(あるいはその裏にいる何人もの人)に感謝することはなんら矛盾しないのに不思議だな、と思ってた

弊社にも頑なに「ありがとう」を言わない人がいて、せいぜい気恥ずかしいくらいかと思っていたんだが、もしかして感謝上下関係みたいに思ってたりする?

だとするといろいろ合点がいく

  • じゃあ俺にも感謝して

  • むしろワイは心の中で一ミリも感謝してなくても 「ありがとう」とかいってるで、という話 この程度のことでポイントつくなら安い安い。

    • ワイはポイントつけたいと思わんから一切言わないやでという話

  • 屈辱とは思わんけどチップみたいな同調圧力で実質義務化されそうな上乗せコストとしか思えんやで(しかも自分にとっては言われてもありがたくもなんともないから余計な手間が増えて...

    • 義務化されるのは嫌だな、とは俺も思う ただ、「ありがとう」って一言添えるの大したコストではない(と俺は感じる)のにそこまで拒否感があるのは、何か俺にはない心理的な抵抗が...

      • ワイは「という話」を添えるのは大してコストではないがお前らにとっては屈辱的なほど大きなコストと感じてしまうんやろなあという話

        • ワイはお前らに向けて「という話」をつけるなんて馬鹿げてるとは言わないよという話

  • 育ちがアレ、かつ誰からも指摘されないほど嫌われているか環境がアレな人を見抜く指標になるのでこのままであってほしい 外国語の教育とか、海外旅行ガイド本だと「店ではありがと...

記事への反応(ブックマークコメント)

人気エントリ

注目エントリ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん