こうした様態の電信機能が一般民衆に広まってたかだか30年もたってないのだから、我々はある種の原始時代に生きているといって過言ではない。
今回の件で焦っていたり怒っていたりする人に対しては、一般に普及して30年もたっていない装置をよくそんなに信用置いて使えていたな、無自覚に使えていたな、という感想しかない。
私の周りでは年配の人間が焦っていたり怒っていたりする傾向が強い。何のための年の功なのか。
一つのデバイスが完全に使えなくなることを想定して日々を過ごすのは現代人として当たり前ではないのか。
考えるきっかけは震災なり事件なり遭難なりのニュースや実体験などでいくらでもあったはずだ。
Permalink | 記事への反応(1) | 10:10
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儒教精神なので年取った俺らが全ての支配者であり、お前らは常に俺らが満足するように振る舞わねばならない
子曰、後生可畏、焉知来者之不如今也、四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已矣。
よっしゃ年寄りは積極的に馬鹿にしよう