傘を差し、駅に向かって歩いていくと、前に、両手に松葉杖をついた人がいた。
その人は、雨の中、連れらしき人もおらず、1人で松葉杖2本を使って進んでいた。
両手がふさがっているためだろう、傘を差しておらず、全身が濡れてしまっているようだった。
駅まで、普通に歩けば約5分。しかし、松葉杖では、もう少しかかるだろう。
咄嗟に、傘に入りますか、と声をかけなければ、と思った。それが人として正しいと思った。
しかし、同時に、この人はそれを望んでいるのか、と思ってしまった。
この人は、両手が塞がっているから傘を差せないのではなく、本当は差せるが、この人の家まであとほんの少しだから、差すのが面倒でわざと差していないのではないか。
あるいは、今日の雨はこの人にとっては、傘を差すほどではない、取るに足らないものなのではないか。
駅までそう遠くはないから、今更傘なんてあってもなくても変わらないのではないか。
声をかけたらかけたで、同情するな、余計なお世話だと逆上されたりしないか。
気味悪がられるのではないか。
逆に、惚れられてしまったりしても困る。
数秒で色々な考えが巡った。
その間も、道行く人は皆、あの人から目をそらし、避けながら、足早に進んでいく。
結局、声をかけることは、できなかった。
数秒間、その人の後ろを歩きながら考えたが、親切心よりも、何か悪い結果につながったらどうすればいいのかという思いが勝ってしまい、他の道行く人同様、何事もないかのようにその人の横を通り過ぎた。
おそらく、自分がネットをよく見る習慣がなければ、声をかけていたような気がする。
しかし、いざとなると、今まで何度もネットで目にした「親切にしたら返り討ちにあった」的な言説の存在が頭をよぎり、動けなかった。
あの人は、そんな人ではないかもしれないのに。
あれから数十分が経ったが、あの時、どうすればよかったのか、考え続けている。