バック・アロウは中央集権的な何かが他から養分を吸い上げていた、というテーマ性が古い。
今は同じ土俵に立てないとか、同じ土俵だったのに優位か不利に違いがありすぎる、という同じ人間なのにこんなに違うのか、という能力に対する絶望感が支配する時代。
それを思いの力だけでどうにかするというのも頭が固い。
みんな団塊が押し付けた努力の力という呪いから脱却しつつあるというのに。
旧ガイナ時代から脱却しきれない脚本家の時代性がもろに反映されていて、やりたいことも古臭くなるとだめだなと思う。
そういえば大今良時は若いのに影響元が古臭くて、そのせいで作風は大風呂敷かつ懐かしい感じではある。
あれは逆に若い人が昔を知らんだけだろうなあ。