世の中には「スケベシーンは低俗でみんな書きたいはずがない」「作家は面白い話が書きたいはず」という固定概念が存在し、その結果「エロなしでも売れたのに」とか「中身がないからスケベシーンで売ってる」とか「エロ漫画堕ち」とか言われたりするわけだけど、「面白い話が書きたい」ことと「スケベシーンが書きたい」ことは別に相反する事象じゃないよね。
普通にスケベシーンのある面白い話を書きたい作家がいてもおかしくないと思うわけよ。それは純文学的な「性を語らずして人間は語れない」みたいな仰々しいものじゃなくて、単に作品を通じて自分の性癖を暴露したい作家だったり、そもそもスケベシーン自体が「面白い」と感じる作家だったり、色々いていいんじゃないかと思うのよね。
つっても、「これエロである必要あったか?」「この風呂シーンいらんだろ?」と思う作品が多くあるのは事実であるし、読んでこのエロは無理やりだと感じたら、だいたいその直感は...
まじめな話ばっかりだと精神が持たんからヒロインのお風呂シーン入れたいんじゃ!という性癖があるかもしんないじゃん。 なんならもっと入れたいけど編集に「何の漫画家わからんよ...
かもしれんし、きっとそういう人はいる。確かにそうだ。 でも俺はその違いも、読んだときに読んだやつには伝わるし判ると思うし、俺に伝わってきていると思うんだよな。 結局はジャ...