『バービーがこれまで「子どもを産みたい」と思わなかった理由』っていうのを読んだけど、全く共感出来なかったなー。
大体、
「野球がしたい理由」とか「カレーが食べたい理由」とか「鬼滅の刃を見たい理由」なら、
「○○したい理由」が問題になる事はあっても、「○○しない理由」は特に問題にならないじゃん。
どんな事に対しても、普通はそうだと思う。何かを「したい」事には理由があっても、「したくない」事には特に理由はない。
「子供を産みたいと思う」人が、「何故産みたいのか」を考えるのは分かる。
でも「子供を産みたいと思わない」人は、思わない理由を特に述べなくたっていいんじゃないの。
なのに現実は何故かそうじゃなくて、「産む」のには特別な理由は要らないけれど「産まない」のには理由がいるみたいな風潮になってるよね。
それが物凄く違和感。
せやな
女の幸せは家庭。 女は産む機械。 そんな文化圏の国なので仕方ないね。
したいしたくないじゃなくて多数派は理由を求められないけど、少数派は理由を求められるってことやないの?