鬱病の人間やメンヘラの自分語り(大体苦労系の)が読み手に共感されるか否かの分岐点って、
「受け手が語り手と同様に鬱病やメンヘラであること」と思われがちだが
じゃあ何なのかというと
「受け手が語り手と同様に恋人・配偶者・パートナーがいるか否か」
の方が圧倒的に大きいんだと思う。
要するに、
「受け手は語り手と異なり、鬱病やメンヘラではないから共感できない」
…ではなく、
「”恋人・配偶者・パートナーがいる”語り手が鬱病やメンヘラの自分語りをする」→
「受け手は語り手と同様に鬱病やメンヘラであるかと関係なく”恋人・配偶者・パートナーがいる”から共感できる」
「受け手は語り手と同様に鬱病やメンヘラだが、”恋人・配偶者・パートナーがいない”から共感できない」
…という現象だと思う。