2019-06-20

鬱やメンヘラ自分語り共感できるか否かの分かれ目

鬱病人間メンヘラ自分語り(大体苦労系の)が読み手共感されるか否かの分岐点って、

受け手が語り手と同様に鬱病メンヘラであること」と思われがちだが

実はあんまり関係ないんだと思う。

じゃあ何なのかというと

受け手が語り手と同様に恋人配偶者パートナーいるか否か」

の方が圧倒的に大きいんだと思う。

要するに、

「語り手が鬱病メンヘラ自分語りをする」→

受け手は語り手と異なり、鬱病メンヘラではないか共感できない」

受け手は語り手と同様に、鬱病メンヘラから共感できる」

…ではなく、

「”恋人配偶者パートナーがいる”語り手が鬱病メンヘラ自分語りをする」→

受け手は語り手と同様に鬱病メンヘラであるかと関係なく”恋人配偶者パートナーがいる”から共感できる」

受け手は語り手と同様に鬱病メンヘラだが、”恋人配偶者パートナーがいない”から共感できない」

…という現象だと思う。

鬱やメンヘラ語りの共感トリガーとは「鬱やメンヘラであること」ではないと思う。

恋人配偶者パートナーいるか否か」だと思う。

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