もっと正確にいうと、夜に支度をして朝炊けるご飯だ。もともと弁当がいる家族が自分で炊いていたのだが、少し前から私の日課に加わってしまった。早々に家族が寝てしまったあの夜の私が、疲れていたのかな、明日ご飯炊けてなかったら気の毒だな、と同情心を抱かなければこうはなっていなかったと思う。
あの夜の翌日は「ありがとう、助かった」と家族に喜ばれた。その時はやっておいてよかったと思ったが、その日から家族はご飯の支度をせずに寝てしまうようになった。ご飯がないのは困るだろうからと毎晩炊き続けていると、そのうちお礼も言われなくなった。私が翌日のご飯を炊くことは、家族にとって「特別助けられたこと」から「ごく当たり前のこと」に変わってしまったのかもしれない。それにしては随分とあっさりシフトしたものだが。
別に日課がひとつ増えたところで腹は立たない。実際、このことで家族と争ったりもしていない。
ただ、一日の終わりにシャッシャと米を研いでいると、そんな風に定着した役目に時おり可笑しさが込み上げてくることがあるのだ。