今日出先の郊外で猛烈な便意が襲ってきて、正直だめかもと思ったあたりで簡易便所を見つけて事なきを得た。トイレという発明をした人類は偉大だと思った。そしてこうも思った。人前で漏らしたり、自分の便を見られたりするのはなぜあんなにも恥ずかしいのかと。
原始の穴ぼこを掘っただけの便所時代はただの排泄だから恥ずかしいも何もなかっただろう。外敵に見つからないための壁が備えられたことがいつのまにか転じて、見られるのが恥ずかしいという感覚を生んだのではないか。
それで思い浮かんだのが猫である。自分のトイレに向かうときの猫をじっと見ていると、恥ずかしがるかのような素振りを見せ、満足に用を足せないことがある。
野生の猫は用便を見られても怒りこそすれども恥ずかしがりはしない。特別にあつらえられたトイレを持つ家猫と人類だけが恥を知るのだ。偉大だが厄介な発明、それがトイレなのではないか。
うんこや漏らすことがもっとオープンなら悲劇が減るのにね 気軽にうんこが出来て、漏らせる社会は気が楽そうだ 病気は増えそうだけど