2018-11-13

事実の話について

人は事実と信念を分ける。

私の信念ではなく、事実の話だというとき

その事実に当たる部分が善とか悪の価値基準を置かずに話をしたいということだろう。

私はその意志だけは尊重してやりたいが、そうすることである問題を抱えている。

それは事実と信念を分離させる事による問題である

まり、私はこれを事実だと信じていないが、これは事実である、ということが果たして可能であるのかということである

事実と信念をわけることで4パターンできる。

①これは事実で、私はそれを信じている。

②これは事実ではない、私はそれを信じている。

③これは事実で、私はそれを信じていない。

④これは事実ではない、私はそれを信じていない。

①のパターン

これは問題ないだろう。事実であることを信じる。

②のパターン

これも問題ない。事実ではないことを信じている。

③のパターン

これはおかしい。事実なのに、事実を信じていない?

④のパターン

問題ないように見える。事実ではなく、その事実ではないことを信じていない。

事実の話をしたい人に、私はその事実を信じていないなどといえば変に思われるだろう。

だってその信念を切り捨てて話をしたいのだから

しかし、事実の話をする人が、その事実に対してなにも信念を持っていないというのは嘘なのでないだろうか?

事実の話をすることで、信念の話から逃れられると思っていることに、疑問を抱いていたのでこの文章を作った。

何か矛盾があれば返答ください。

  • 矛盾しかないぞ低能 頭悪いんだから物事考えるだけ無駄だよ まずは大学にでも入れ

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