発達障害にはAという特性があり、自分にも当てはまる。
ではなく、発達障害である自分がBという失敗をした。Bは発達障害の特性に違いない。
そういった理屈で、発達障害はこの世の上手くいかないこと、不条理の心の拠り所となっている。
そして、Twitterでお互いの失敗談を共有しあい、発達障害という不幸に見舞われた自分達を憐憫しあう。
発達障害という不幸に見舞われなかった運の良い人達は、全てがうまくいっている。
(こういった0か100思考に陥ってしまうのも発達障害の特性である…)
発達障害という概念によって、何も上手くいかない自分という存在が救済される。
まさに宗教そのものではないか。
Permalink | 記事への反応(2) | 09:03
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概ねの主張は分からんでもないけど、定型の人がすべて上手くいってるなんて思ったことない。
増田は自分が発達障害だと思っているただのガチ低能だからな。勘違いしたらあかんのやで。
と思い込んでる発達障害の低膿様
人は自分が信じたいものを何でも信じればいいんだよ