日本人は他者の目を神の目として内在化する。宗教がない日本人にとっては、他者の目が、即ち神の目となる。よって、注察妄想などの被害妄想が発生しやすくなる。思春期以降、教室で生徒が発表しなくなるのもそのせいである。
これから逃れるには生の強いパワーが必要である。生の力、即ち、性の力=リビドー。現代日本人にはこれが欠けているように思われる。みんな凄十を飲めばいい。運動部の人が自信満々な感じになるのは、男性ホルモンの分泌によってリビドーが高まるからである。
宗教がない日本が体育会系になるのは、そういう背景がある。
Permalink | 記事への反応(1) | 07:20
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運動部が自信満々は絶対ではないな。 強豪校で普通の生徒との差が圧倒的な場合ぐらいだろう。 通常ケースでは、部活というよりは上級生下級生ではないかな?