「内面の美しさ」を仮に「人格の高潔さ」だと捉えるなら、それはキリスト教の影響が大きい(かもしれない)。
キリスト教では信仰を通じて人格を高潔に保つことで神に接近することが「幸せ」だとされる。
逆に言えば、外面を美しくすることばかりに気を取られて、高潔さを失えば、それは不幸だとされる。
増田は「内面の美しさ」を「面白さ」と定義しているようなので、やや議論がズレてしまっているかもしれないが。
(ちなみにキリスト教以外にも、ストア派の哲学者も似たようなことを言うので、結構普遍の原理なんじゃないかと思っているが、これは言い過ぎかも)
普通に考えて、内面の美しさにはあまり面白さが無い。 外面の面白さはいろいろな面白さがある。 例えば、アイドルの内面とか知りたくもない。大したことないのは明白だから。 ...
「内面の美しさ」を仮に「人格の高潔さ」だと捉えるなら、それはキリスト教の影響が大きい(かもしれない)。 キリスト教では信仰を通じて人格を高潔に保つことで神に接近するこ...
内面は外見に現れるしね。
どちらも価値があると思う。 きれいな(外面が良い)子とのセックスは良い 仲がよく話が合って楽しい(内面が良い)子とのセックスも良い 足切りラインを割って不細工な(外面が悪...