神の視線を感じる世界は大きなゲーム盤であり神の見えない指先が俺という駒を排除すべく大いなる権謀術数を張り巡らせているか
あるいは今まで俺が自覚・無自覚を問わずに重ねてきた罪悪を帳消しにすべくついに官吏を寄越し彼らは俺の人生の辻褄合わせを行ったのだ
何故なら人生の禍福の最終的な数値は差し引きゼロでなければならずそうしなけば不平等であるという思想であり人類の禍福もまた神の視線で見れば差し引きゼロでなければならない
全ては均衡を保たなければならないので全ての罪悪は大小・軽重を問わずにいずれ必ず何らかの形で罰という形で現れる
んじゃないかと思うんだよね
Permalink | 記事への反応(2) | 14:57
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「俺」を「ボク」に修正して再提出。
神の存在を規定しているところまでは別によくあることなのでかまわないが、 そこに平均化(均衡)する神の目線とやらが定義される理由が分からない。 さらにもう一つ大前提としての...