「当人はやりたいことをやればいいけど、同様の見られ方を望まない障害者の方もいる」というような反応があって、
性的に見られたい人もいればそう思わない人もいる。
例えば街中で見かけた女性を絵に描いて公開することについて、「自分はかまわない」という人はいるだろうけど、全員がそうなわけじゃない。「自分は嫌だ」という人はいるだろうけど、全員がそうなわけじゃない。
結局障害者であろうと健常者であろうと男であろうと女であろうと、
「どう見て欲しいか」
「どう見られたら嫌か」
勝手に「障害者は全員障害をプラスに捉えて欲しいと思ってる」と判断したり、勝手に「障害者は全員配慮してもらいたいと思ってる」と判断したり、
そんな判断は、ほんとうは誰にもできないのだ。本人に聞かない限り。
ただそういう直接確認が非常に迂遠で面倒になることもたしかで、
欠損女子バーとか小人プロレスとかそういう場で働く人たちは、実質的に既に意思表示をしていると考えていいんじゃないだろうか?
のつづき つまり属人的で個別的な判断が必要なんじゃないか? 例えば壇蜜のおっぱいには興奮するが街中の女性の胸をガン見はしないように。 「障害」一般にあるイメージを持つこ...