皆、感動とセックスが好きなようだ。
イケている男女がセックスをして、体制側で、明日も楽しく生きていく姿が皆の理想だ。
そして、それが現実でも、現実と大して変わらなくなったインターネットでも賞賛される。
感動したがりがとことん悪いとは思わないが、感動が出来ない人間もいるのだ。
感動よりも、己の不足を思い知らされるだけの人間が山ほどいるし、これからも増えていくだろう。
いや、もっと増えるのは不足しているのに、持てる者のノロケ話に感動する輩だ。
自分は感動する人間になるというのは、負けな気がしてならない。
やすっぽい感動を自分は聞きたくないし、そんなもので感動をしていたら考えるのをやめたようなものだ。
だから、今までも、これからも安っぽい夫婦の惚気話などいらない。
皆が感動して、狂ったようにボタンを押していても自分は押さない。
ただ、手にはいらないものを羨んで、持てる者を批判して、持てなくて嘆いて、持とうとして、持てる者が強いという秩序を強化して、それども持とうとすることをやめたくない。