2015-08-30

痛みが、深すぎると、痛いという言葉を発することも出来ない。

自分の苦しみは、自分言葉表現するしかないのだが、

仮に例えば、喉や舌を負傷したとしよう。

  

すると、何も、言葉を発せない。

あるいは、顔の皮膚に火傷を負ったとしよう、すると、表情に表すことも出来ない。

  

身体に、負傷をしたとしよう、すると、身体を震わせること自体が、痛みになるので、

ジッと耐えることが、痛みを和らげる最良の方法となる。

  

そのため、他者からは、その傷みが、分からない。

  

傷つきすぎた野生動物のように、傷を負いすぎていて、人が信じられなくなっていて。

他者からの助けにも、疑惑の目を向けてしまう。

  

心の問題は、結構、複雑だから、こんな例えでは、言いようがないのかもしれない。

しかし、痛みが、深すぎると、痛いという言葉を発することも出来ない、という点では、身体の痛みと似ている部分は、あるように思う。

自分でも、傷ついている状態が当たり前になっているので、感覚麻痺しているのかもしれない。

  

助けを求めることも、楽ではない。

面倒くさい顔をされても、助けを求める。

「人は一人では生きてはいけない」

「人は助け合って生きるものだ」

理論言葉を知っていても、一切の助けにはならない。

  

ただ、もがきながらも、諦めない。

でないと、自分回復を待っている人を悲しませるかも知れない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん