本当に困っている人は助けたいけど悪用されないよう制度改革を、とか、そもそも制度的に苦しいからベーカムを、とか、それぞれ尤もだと思うんだけど、根本的なところで「困っている可哀想な人を助ける」ものでもないと思う。
いや、そういう人だって助けたらいいんだけど、問題なのは「誰も助けたくならないようなどうしようもないクズだけど、生かすか殺すか」というとこじゃないのかなぁ。
「そんなクズならほっとけ、死ねばいい」というもあるし、心情的にはそう思ってもしまう。
でもどこかで「どんなクズでも野垂れ死にするままってのはどうなんだ」というのもある。
なんで「誰も助けたくならないようなクズ」を「助ける」矛盾が出るかと言えば、そのクズそのものはどうなってもいいのだけれど、なんであれ野垂れ死にしそうな人間を見殺しにするのか、みたいのがあるからだ。
だからそこで問題なのは、「その人がどういう人間なのか」ではなくて、「とにかく人間だ」ということのはず。
「とにかく人間」だから、死なない程度に助ける、という思想がある。
それも否定して、「とにかく人間」だろうが、クズなら死ね、というのも分かる。
ただ、クズかどうかというのが問題なんじゃない、と思う。
どうしようもないクズを見殺しにするために、 困っている人まで見殺しにする可能性を高くしてしまうのは愚策よの 困っている人を助ける為には多少の犠牲はつきものとある意味諦め
生活保護に関して思うのは、「生活保護をもっと手厚く」とか言ってる人間が、ネトウヨに対しては「死ね」って言葉を平気で使ってるのを見る時に感じる虚しさ。 「ああ、こいつは何...