空虚感とノスタルジーが時代に満ちている、なんて今更も今更だけど。
悲しみが知っている喪失の対象を、空しさはもう知らない。
失われたものは「とうに失われているもの」としてのみイメージされる。
おそらくは空白に耐えられないために、空白を埋めるために、かつて「それ」があったのだ、ということがイメージされる。
これがノスタルジーだ。
と考えると、僕自身は納得できた。
悲劇が消えた理由でもある。
同じこと。喪失(したこと)さえ忘却されたら、忘却されるものも残らない。忘却は不可能になる。
記憶が記録に取って代わられることと関係あるかもしれない。分からない。
あらかじめ全てを失っているがゆえに何一つ失わず、何一つ失わないがゆえに完全に満ち足りた、幸福な子どもたちにいかなる感情が必要だろうか。