だけど
ハイコンテクストの流れが文化の宿命であったとしても、常に逆行して大衆化させようとすることは常に可能なはず。
その結果、ぜんぜんSFと異なるものに行きついてしまうかもしれないが、でもすくなくともその行き着いた未来において、過去を振り返れば
SFがあったという歴史を認識できる。
今のSFはこんなのはSFじゃないと保守的になるあまり、何物にも変化できず、本当にただ枯れ落ちてしまう。
Permalink | 記事への反応(1) | 17:36
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それはSFの子孫であってSFではない。 別に誰が気にするまでもなく、良いところは他分野から吸収され、合いの子みたいなものは生まれ続けている。