「何をしても許される」に代表される”偉そうな振る舞い”が、努力の見返りとしてしか行われないわけでもあるまいに。
いやいやw
学歴君を見たらそうとしか言えない事しか書き込んでないじゃんw
論理に飛躍があるな。
「特別努力もしていない」ことと「彼らには偉そうに振舞う理由もない」の間に飛躍がある。
「何をしても許される」に代表される”偉そうな振る舞い”が、努力の見返りとしてしか行われないわけでもあるまいに。
それどころか「特別努力もしていない」ことは却って「偉そうに振舞う理由」にすらなりうる。
あまりにもだるかったから昼休み机にぐったり突っ伏して休憩していたんだが、知人が「大丈夫?疲れているみたいだけど」と心配そうな顔をして話しかけてきた。
自分としては本当に疲れていてやり取りをする余裕なんてないから、知人には悪いなと思いながら少し顔を上げて「ちょっと今休憩してるから話しかけないでくれ」とだけ言っておいた。
しかし知人は「人がわざわざ心配してやってるのにどうしてそっけない態度を取れるんだ?」と言うような不快な顔をして睨んだ後、無言でどこかへ行ってしまった。
あんな風に良い人を装って近づいてくる馬鹿もいるんだなーと素直に飽きれてしまった。本当に、友人としていろいろ付け込まれる前に相手から離れていって良かったよ。
東大入試は難しいし、これに通った上で学内のカリキュラムにも耐えたからこそ、東大卒には高い評価が与えられる。東大卒に成功させることが全体に必要だからそうしているだけ。この過程をクリアしなかった者に成功などあるわけがない。また万が一東大卒が成功のコースから外れたとしても、東大卒が人間として尊敬されることに変わりは無い。
その方向の「進歩」は社会で役に立たないから伸ばさなくて大丈夫。
議論が趣味みたいな連中は、他人と違うことを言いたくて仕方がないばかりに、世間で通用しないような書生思考に縛られるようになりがち。
議論めいたことを目指すより、自分の主観を正確に伝えるような文章を書いたらいいさ。今までただ「面白い」と呟いていたところを、「〇〇な点が面白い」と呟くように。
「東大卒」という肩書きを持ってる人は人並み以上の努力してそうなったんじゃないんだよ。
普通の人が普通の偏差値の大学に入るのと同じ様に、何の違和感もなく生きていたら自然と東大に入って東大を卒業していっただけ。
「常人には考えられない様な努力をしてきたから現在の地位が高い」のではない。特別努力もしていないし、だから彼らには偉そうに振舞う理由もない。
ただ考える効率や生きる方法が賢いというだけ。
その「のんきな構想」で欺されちゃう有権者が多いわけだから、馬鹿にされてもしょうがないと思うんだ-。
全部の政党が「選挙に勝つ」ことより「よりよい政治をする」を優先して「抜け駆け無しね」ならいいんだけど、現実はそうはいかないわけで。欺しやすい有権者が相手なら、むしろ「有権者を馬鹿にした前提」で公約しないと選挙に勝てないことになっちゃうわけで。
結局、民主主義ってのは国民の程度に応じたレベルの政治しかできない、っていう当たり前の話さね。
そろそろ国民は自分たちが「政治については(馬鹿でないにしろ)素人である」ということを認めて「民主主義やめようぜ!」と考えてもおかしくないと思うんだけどねー。
盗難保険と単車代弁償を請求するくだりでこの話はくだらなくなっているわけだけど
そのほかにも整理すればそれなりに結論は出せるんじゃないか美化云々じゃなくて。
ポイントは以下な感じかな。
無駄削減「せいぜい2兆円」=消費税上げの必要性指摘-官房長官
仙谷由人官房長官は18日夜、BS朝日の番組収録で、事業仕分けなどによる歳出削減に関し「残りせいぜい(無駄を)2兆円切れればいいところだ」との見通しを示した。また、昨年の民主党の衆院選マニフェスト(政権公約)について「のんきな構想で作ったが、税収が当初予算(の見通し)よりも減った」と指摘し、消費税引き上げが必要との認識を示した。
参院選で民主党の獲得議席目標については、「首相の言っている54が目標ラインだ」と述べる一方、「極めて楽観的希望としては過半数の60を超えたい」と述べた。
官房機密費(内閣官房報償費)については、使途を原則公開する方向で検討する考えを示した。ただ、公開時期については「何十年か先の話だ」と語った。 (2010/06/18-22:17)
中年が性悪になるように仕向けられているのは結果論だもんな。そっちの方が成果が出るからそうなるように呪われてる。で、中年らも日本の厳しさを知っているから認めざるを得ない。つまり結果論なのに中年はいつの間にか世間は悪意に満ちてるとか解釈するようになる。死んだ方がいいね。
オナ禁中でつらいので、文章を書きます。
アランブロイヤーの ESO っていう本を5年前ぐらいに買いました。どうも、オーガズムが1時間続くようなセックスの方法が書いてあるらしい。
キゲール体操とか、行動?認知心理学に基づいてお互いのことを認め合うらしい。幸せになれるらしい。これはすごい。
でも、彼女と本を読みながら試して「こんなの俺らには無理だ。」とおもった。それから、なんとなく見なくなった。
5年後、本をもう一度読み直したら、そのときは「なんでこんなに詳しく書くのか意味が分からない。女性の反応はもっと一人一人違うだろう」と思った箇所の記述と、全く同じ反応を彼女がしている事に気づいた。
元増田です。ブコメ、トラバはどれも何度も読み返させていただきました。
励ましのお言葉も沢山頂いて、目頭が熱くなりました。
まずは、補足から。
あとのトラバの方も書いてくださっていましたが、知り合ったのが大学3年のときです。
つきあいだしたのは知り合ってから1年以上経っていたので、結婚の話が出始めたときにはすでに大学は卒業していました。
結婚の話の真剣度については、彼のほうがどうだったのかは今となっては分かりません。お互いの人生設計について真面目に話し合ったこともありますし、私はそれなりに本気だったのですが……。
元エントリに書いた理由に加え、彼の仕事が忙しいのに、私が環境が変わったストレスから甘えすぎてしまったことが原因だと思います。
出会いがあったかどうかは分かりませんが、もしそうなら少なくとも彼の方は私と付き合っていたときよりも幸せになっているはずで、
いっそそうだったらいいな、という気持ちも強いです。
振られて自罰的になっているだけ
いくつか似たようなご意見を頂きましたが、確かにそういう部分もあるかもしれません。
元々、自分の恋愛市場における価値というものをあまり信じられない方だったのですが、さらに拍車がかかっている気がします。
あんなに優しかった彼氏さえ離れていったんだから、私と付き合って喜ぶ人なんているはずがない…というような。だから、
というブコメには、はっとさせられました。そういう衝動も分からなくはないというか、振られて以来ときにちらりと頭をかすめるからです。そうならないよう、頑張らなければいけないですね。
こういったことは、時間が経てば徐々に解決するのでしょうか。
頂いたお言葉を胸に刻みつつ、少しずつ自信が持てるように頑張ってみます。
できれば若いうちに呪いが解けて欲しい
厳格な貞操観念を「常識」「道徳」というふうに捉えていたので、呪いという表現には色々考えさせられました。
やっぱり小さいころから(明示・黙示ともに)教わってきたことはなかなか否定できないのですよね。
彼と付き合っていたときは、違った考え方もあるんだ、と少し思えるようになっていたのですが、別れてまた、「不幸になったのは貞淑でいられなかったことの罰だ」というような考え方に戻ってしまいました。
色々な人付き合い(恋愛に限らず)を通して、人間関係というものを見つめなおしてみたいと思います。
これはちょっとびっくりです。私の周りの友人は、1人の人と長く付き合う人が多く、初めて付き合った相手と結婚していたり、そうでなくても今の彼氏とは7年の付き合い、という人も少なくないので・・・。
もしかしたら、私の周りが少し偏っているのかもしれませんね。
そんとき好きだったんだからセックスしたからってなんも悪くない。
ほんのちょっとですが、この言葉を見て、気が楽になりました。
天の一番高い所からこの世を見おろすような一夜
は、中島らもですね。元彼と体験したこんな気持ちが他の人と味わうことができるのだろうか、というのは今のところまだ半信半疑ですが、
何が起こるかわからないよ。人生は。
休憩室が女に占領されてるのも普通だな。
そこで男ひとり入っていけるかどうかってのは完全に当人の問題であって会社の問題じゃない