あんなコピペ作っといてこんなこと書くのもなんだけど、個人的にはやっぱり歴史の違いは感じるんだよね。
G線上のアリアを聴いて感じるのはやはり中世的、バロック的な美だ。
紅茶をツーと飲んで、豪奢な椅子に座り、革装の洋書を手に取り、昼下がりの陽射しを横に浴びる午後だ。
それはもちろん厳格に運用された機能和声(古語)が歴史を想起させるのかもしれない。
そういう意味では、生きた化石(ゴキカブリを除く)をこの目で見て卑近の生物と比較することと、何ら違いがないのかも知れない。
元増田です。言いたいことはわかったつもりですが、そういう話をしているつもりではありません。
つまり、現在のところ、火力発電や原子力発電の方が、発電所設置のエネルギー、資源と燃料費、運用費を含めても、効率が良いのです。
別にこれを否定したつもりはありませんし、火力発電所や原子力発電所を全部太陽光に置き換えろなんて言ったつもりもありません。
そうではなくて、隊長が言うみたいに「太陽電池なんて造れば造るだけ無駄、エネルギーをどぶに捨てているようなものだ」というのは誤りだ、というごく弱い主張をしているにすぎず、別に今すぐ太陽光発電が全てを解決するなんて思っていません。ですのでそういうことを言われても困ります。
だいいち、昼間しか発電できない太陽光だけで電気をまかなうのはほとんど無理(揚水発電所のようなものを超大規模に造るとかできれば別だが)です。ただ、現状ではベースロードが原子力のところ、電力需要の高い昼間は火力で調整しているわけで、そのかなりの部分を太陽光で置き換えられることはCO2削減の観点からは有効だろう、とかそういう話にはなってくると思います。そういうことを一つ一つ視野に入れて計画を立てて実行していくことが必要だという話です。
きっとこう言いたいんだろう。
「クソゲーはもともと買われないもの。だから最初からお金なんて動かない。お金が動かないソフトはマジコンでプレイしても作った側の損得がゼロだからプレイしてオーケー。」
「できたよ~」て聞こえたから台所へ行ったら、
やっぱり焼きそばだった。
わたし、頭おかしいんだわ。
カレー粉かけてみて、食べてみて、まだ足らんと思って追加して、
粉っぽくなったけどカレー欲は満たされたので良し。
また少し食べて、海苔だよ海苔と思ったので、焼き海苔をちぎって乗せた。
楽しかった。
悪いが残念ながら、俺は大手ゲームメーカーの社員だ。クリエイター職で結構ベテラン。
ゲーム会社って、ゲーム好きの連中が勝手に自分の感覚で手間暇かけて消費者が求めてないものを作り込んで消費者が求めてないやり方で売って、それで売れないってボヤき続けてる。もうそんなのウンザリなんだよ。
毎日通っている道で、右折するところの信号が青なのが見えた。間に合うとアクセルを踏んで交差点に進入したとたん信号が黄色になった。左側から車が来た。ブレーキを踏んで横断歩道の上で停まる。相手も交差点の真ん中で停まった。しばらく両方とも動かなかった。
あのタイミングで相手方の信号が青になったはずはないから、赤信号を無視して突っ込んできたのだろう。
そんな車の前なんか走りたくないから、横断歩道の上にデンとのったまま相手の車を見送った。そのまま、信号1回待ちだ。
車が少ない道だから、真面目に信号を守るのもバカバカしいと思ったのだろうけれど、さすがに赤信号で交差点に突っ込んでくるのはヤバすぎるだろう。
日曜日はたまにしか運転しない人がしているのか、状況判断が甘すぎると思うことが多い。
いつもより、ゆっくり、余裕をもって走らないとと気を引き締めた。
君言ってること分かってる?
何が真理だよ。人間の欲深さに勝てないことは歴史が証明済みじゃないか。
それと何かを作り出すには莫大なエネルギーと時間が絶対に必要だよ。
それを苦労と呼ぶか呼ばないかは君の自由だが。
外は見事な五月晴れ。
梅雨に入る前、最後の大きな伸びをするかのように真っ青な空と白い太陽が浮かんでいる。
煙草に火をつけ胸の奥まで吸い込んで、宙に向かってふーっと吐き出す。
ふと視線をさげると、小学生くらいの、どうやら兄弟らしい二人が遊んでいる。
追いかけっこ?
何から逃げてるんだい?ぼくは。
気づくと火はもう僕の指先まで迫っていた。
外に据え付けてある灰皿に短くなった煙草を押しあて、部屋に戻る。
半そでだと、まだすこし肌寒い。
マジコンはそれを教えてくれてる。
カーステでは、ipodでイエモンをシャッフル再生していたんだけど、
このときは、耳に入らなかった。
「ばーちゃんに会ってこられ」と言うので、
中へ入ったら食堂に父が居て「今、体を拭いてもらっとるところ」だと言った。
ちらっと病室を覗いて、食堂でそれが終わるのを待った。
「お店、いつまで休んでもいいかね?」とかいう不謹慎な話を父にした。
実際、休めるの嬉しかった。
本家の人とか叔母さんとか従兄とかが集まってきた。
私の働いているところから病院まで近いのに、
お店の電話番号を教えてなかったので、最期には間に合わなかった。
父母は、なんとか間に合ったものの意思の疎通はできなかったそうだ。
だから、そんなに、別に。
先に帰って、ちょっと家片付けようってことで母と二人帰ることにした。
エンジンかけたら、ちょうど曲の初めから再生されて、「!」と思った。
「人生の終わり(FOR GRANDMOTHER)」
なんていうか、ぞわっときた。
たまたまって言えば、そうなんだろうけど。
歌いながら、ところどころ歌えなくなったけど、でも泣かずに帰った。
確かに諦観ってのはしっくりきますね。
こんな事一生懸命やっても意味ないんじゃないか、あるいはこれを続けて俺は幸せになれるのか?とか思いながら働いてる若者は多い印象。