池田信夫氏の件、同一件か分からないけど見てた。
あれは池田信夫氏が間違いを訂正するのを恥じただけで、ブロックされた側は間違ってなかったよ。
卵をぶつける機会として、ブロックされた側は発言したわけではなく(言い方に問題はあったが)、
間違いを正す意味の方が大きかった。
俺はカレー作らないけど、
この一連の流れには反省を促された。
でも意外にウケが良いんだよね、コレ。
これなんだよなぁ。
自分で思ってるほど切替られていない。
たかだか数人の個人のウケを知ってるだけで、
「異性」のウケを知ってる気になるのは間違いだよな。
まぁ、お互い様だと思うけどさ。
扶養控除廃止は俗にニート増税(※)って言われてますよね。わかります。
(※)特定扶養控除(18~22歳)、老人扶養控除(70歳~)、障害者控除/特別障害者控除/同居特別障害者の控除は廃止されない予定。割を食うのは22歳~70歳の無職健常者。
それが理由でさぁ、じゃあやっぱり哺乳類喰うの反対!下等動物はOK!
ってなるんだったら、現代的じゃないと思う。
そういうDNAの仕組みを理解した今だからこそ、もう一度そこから考えてみるべきだと思うんだ。
そんな男の人に一度も出会ったことないよ
「同じような曲しか出さないから完全にJ-POPは死滅した!」
わざわざ、こんなこと書きにくるのがアニソンファンというのはホント?(「J-POPの現状を憂う音楽ファン」でなくて)
アニソンファンの一人から言わしてもらえば、J-POPが同じような曲ばかりかどうかなんて知りもしないし、ましてやその生き死になんて知ったこっちゃないよ。
これ言ったら、児童手当だって大悪法だよ。
一昨年の俺なんか、残業15時間分くらい所得オーバーしたせいで、3歳児+0歳児の年間18万もらいそこねた。
昨年も同じくらいオーバーしたが、確定申告行って医療費控除に病院への往復交通費ぶちこんで(これ自体は合法)なんとか児童手当の基準内に納めた。今月からやっともらえるよ。。。。
いんや、DNAの智恵だよ。
DNAの目線としては、
より自分に近い遺伝子やそのコピーが、次代に残る事を望むので。
遺伝子的により近い種に親近感を、遠い種に嫌悪感や距離感を感じるのは
自然な仕組み。
だから、基本設定として、優先順位が
俺も賛成。
植物は動物とは別。って考え方は、外見しか判断できなかった昔のキリスト教やらなんやらの世界だ。
これをベジダリアンだからOKって、それは自身のかわいそうかどうかって判断だけだろ?
確かに殺すってことは残酷だし、屠殺の痛さ緩和ってのはできる限り推奨すべきであるが、
それは千年前に同じテーマで議論した有名人がいたってだけでしょ。
結果として未解決の問題なんだから、まだまだ議論の余地はあるってこった。
彼が「自分はコレが好きで、コレが嫌いなんだ」と思う事について
憶測も糞も無いんじゃないの?
俺が勝手に君の好みを言い当てたのなら話は別だけど、
当事者の内心の話よ?
ベジタリアンが嫌われるのは「独善的だから」で、「かわいいから」で押し通す連中が嫌われるのは「ダブスタだから」。どっちにしてもどうしようもないことには変わりないと思う。
とりあえず1000年前の宗教論争蒸し返すのは本当に不毛だからやめた方がいい。鎌倉仏教で散々論じられた問題だから。法然とか親鸞がなに言ってたか調べてごらん。
宗教の問題じゃないって言うかもしれないけど、「感謝するのが当然」と言っている以上は宗教としか思えないのであえて宗教的文脈で答えるけど。
横から悪いけど、そんなこと言い出したら、犬や猿を食べる民族だっているわけだからね。特に犬を食べる民族はすぐお隣にいるわけだが、君はそれを否定するわけか?
前のオリンピックやワールドカップのときに犬食レストランは営業停止させられたり自粛させられたりということがあったわけだが、どう考えても西洋人の傲慢だろう?
だいたい、知能が本当に重要なら、知能が相対的に高いとされる豚や牛よりも、相対的に低いとされる猫を食った方がいいということになる。でも、向こうの連中は「猫を食うのは野蛮人」だと思ってるわけで、そこでもまた破綻してるんだよ。
俺からすれば「人道的な屠殺」という偽善の方がよっぽどおぞましい。
要するにこれは西洋風の信仰(人間は動物を獲って食っても構わないが、同時によき支配者・管理者たるべし、)と、東洋風の信仰(植物・動物問わず生き物を殺すことは本来は罪である、殺してしか生きられない業の重さをかみしめよ)の対立の問題なわけよ。だから、どっちが正しいなんて決められないし、決めるべきでもない。お互いを尊重して口を挟まないことが重要。でないと、ヒンドゥー教徒が「牛を食うな」とか、ムスリムが「豚を食うな」と言って介入してきてますます収拾がつかなくなるよ。
そんなこと言われなくても解ってるよ。
でもその一方で全廃というわけにもいかない。
件の90%が個別具体的にマニュフェストに載ってたわけでもない。
じゃあその線引きはどこ?
って話なんでしょ。
都市部だったら税収が豊富だから多少変な政治家が我田引水しても大丈夫で利権の排除にはならないんじゃないかと。新銀行東京とかもろにこれ。逆に限界集落なんか優秀な政治家がいてももはやどうしようもない。
利権を排除したいなら単に小さな政府にして財源権限をどんどん削ればすむ話で政府の権限財源を中央から地方にシフトさせても利権がシフトするだけであまり意味はない。中央政府でも地方政府でも裁量の余地をなくしていくのが目指すべき道のはず。
智に働けば角が立つ
情に棹せば流される
意地を通せば窮屈だ
ですかね。アンケートとるまでもない。
利に賢しい個人は損得で故郷を切ればよいけれど
で、その分析は合ってるの?って話だよ。合ってるのかも知れないけど。なぜそういう事が分かるんだい?ってね。
「よろしかった」と聞いてなんか脈拍があがった!そういえば自分は効率好きだ。不効率なコミュニケーションは嫌いだ。そして「よろしかった」の重箱の隅をつついてみると、ほーらこんなに不効率性が! やっぱりそうだ、自分は、これこれこういう理由で「よろしかった」が嫌いなのだ!
憶測で自分の好みを並べ立てただけじゃねえ。
今の県の立場が「貰える約束の紐付き金の一割を、今さら反故にされそうになってる」だけで
約束は約束なんだろうけど、ビジネスと違って、商品を納めたのにお金がもらえないとは違うと思うので。
家が貧乏になったから子どもが、お小遣いをもらえない的な話しかと。
所詮、人から物をもらう側の立場というのは、等価交換ではないので、反故にされても仕方ないし、文句は言えないでしょうと。立場的に。
約束したんだから、もらえて当然という立場その物がおかしいんじゃない?
もともと、国の政府の意志のまえに、そういう転換を選んだのは国民の意思。国民の総意での公共事業の中止方向だからねぇ。
という話し。
地方行政側も、地方行政側で、言いたいことは山ほどあるんだろうけど、愛知みたいに地域産業を興していかなくちゃいけなかったのに。
土建業・公共事業・助成金に頼ったのは、良いも悪いも、国も地方も同罪でしょうと。
国民の総意で、一度精算すべし、という総意になったんだから、地方も国民の総意には従わざるを得ないので、もう、しょうがないよ。