「落ち度がある」という言葉それ自体に傷つくわけじゃないと思う。
好機の目で見ている人がかなりいて、
そういう人にとって、「落ち度がある」という言葉は
「落ち度がある」といった人の悪意の有無とは関係なく
結果的に被害者を傷つけ、あるいは追い詰めてしまうのが問題なのだと思う。
また、「自分が悪かったのだ、因果応報なのだ」と、
なんで35歳でプログラマを定年になるつもりなの?
で、たまに変なのが混じってる。
取材費は「うちもち」でという取材だ。
しかも、そういう大事なところを最後まで言わないから性質が悪い。
旬を過ぎたというか、だれそれ?という芸能人がインタビュアーというときは気をつけるようにしている。
確認すると取材費は7万円ですとかいわれる。
知り合いの経営者に聞くとやはりそういう営業をうけるそうで、同じ会社だとおもう。
つかデータバンクかってに会社の情報売るんじゃねぇと言いたい。
社長の名前とか部署名とか、どうせホームページから調べただけだとおもうんだけど、
そういうのをリストにして纏められるとやってられない。
やってることが名簿業者と同じじゃないか。
また米軍兵士が問題を起こしましたね。
でも、他のところにも少ないながらもあるわけで。
他のところで問題が起きたという話がすごく少ないのはなんで?
報道されないのか?実際起きていないのか?
報道されないんだとしたら、マスコミはすごい偏向報道をしているということだ。
なんかそれは変だ。
実際起きていないんだったら、違いはなんなのか?
そこんとこ、どう思います?
むかーし、むかしのことじゃった。あるところに、非モテを自称する若い男子大学生が居たそうな。
その男は、サークルの飲み会で、事あるごとにこう言ったそうな。
「カップルとかほんとさっさと死ねばいいのに」
周りの人間たちは、みんな「また何か言ってるよw」とか言いながらも、あたたかーい目で、見守っていたそうな。
そうこうしている内に、そのサークル内でも、あるカップルが一組誕生したそうな。
飲み会でみんながそれを賞賛しているとき、その非モテは一人こう叫んでいたそうな。
「あー幸せそうですねー。ほんとさっさと死ねばいいのに。道歩いている途中にいきなりうんこで頭滑らせて道路に頭ぶつけて失神しているところにバキュームカーが横転してきて中のウンコにおぼれて窒息して死ねばいいのに。」
そんなことをつぶやいていると、そのカップルの女が、こう本気で怒りながら言ったそうな。
「なんで○○君は祝福してくれないのよ」
その女は、普段その非モテがカップルに悪口を言っていた時に、一番面白がってくれている様に見えた、そんな女の子だったそうな……
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「おじいちゃーん、その話の教訓ってなぁに?」
「そうじゃのう、『カップル』一般を罵倒する非モテ芸は割と許容されることが多いが、それが目の前の特定の『カップル』の場合は、よほど言葉を選ばないとダメじゃよ、ということかのう。」
「そんなの常識じゃん。」
「(うぜえこの坊主!!)……あーそうだ、あと一つ言い忘れたことがあっての。」
「なぁに?」
「実はその非モテはその女の子が好きじゃったんだよ。でも告白する勇気もないから、しょうがないから非モテ芸で『自分には彼女が居ない』というメッセージを発していたんだそうな」
「うはwwww何それwwwwそいつただのバカじゃんwwwwwwで、そんなことやっている内に他の男にその女の子取られちゃったから、その腹いせで罵倒したとwwwwwキンモー☆wwwwwwww」
「てめぇ殺すぞ」
http://anond.hatelabo.jp/20080219121753 の続きです。
タウン誌の広告が「成功した」という定義、それはものすごく曖昧なものでした。ざっくり言えば、クライアントの多くが「反響があれば、まぁOK」という認識のもと、安くはないお金を広告料として支払っていたのです。では、広告の成果を左右する「反響」とは何か? 雑誌を見たお客さんが増えることによる収益アップは当然として、周りの人に「○○に出してたね」「○○見たよ」そんなふうに言われることによって、オーナーさんの自己顕示欲?のようなもの満たされることも、広告料という対価を払うにふさわしい「反響」として認識されていたのです。
もっと簡単に言えば、広告に対して「シビアじゃなかった」んです。タウン誌サイドも、クライアントも(今と比較してのお話ですが)。
しかし、ご存じの通り景気後退の波はひたひたと押し寄せてきます。クライアントは、成果がハッキリしない出費を渋り始めます。その間隙を突いたのが、ご存じリクルートのホットペッパーです。
お金をもらって記事を書く「記事広告」に、広告掲載物件の割引券「クーポン」を組み合わせた、画期的なフリーペーパー「ホットペッパー」。クライアントからすれば、クーポンという形で今までぼかされていた「成果」がハッキリ見えますし、制作サイドからすれば「メディア初登場の隠れ家的イタリアン」だとか「食通もうなるあの店の裏メニュー」なんて物件を手探りで探さなくても、「確実に得をする」という読者にとって最強に引きのあるコンテンツ「クーポン」を、クライアントの負担で手に入れることができてしまうのです。
リクルートは、従来の割引券をクーポンと置き換え、使用者サイドから「気恥ずかしさ」「貧乏くささ」を取り去り、クーポンマガジンと「ホットペッパー」いう新形態をメディアに露出することによって、あっという間に市場を席巻します。首都圏を飲み込む課程で試行錯誤を繰り返し、より完全体に近づいた化物「ホットペッパー」が目指したのは、当然のように地方都市でした。
しかし、そんな状況になってもタウン誌を発行する地方の出版社は、なんの根拠もなく「クーポン雑誌とタウン誌は違う」「地方ではクーポンマガジンという形態は読者、クライアントに売れ入れられない」「地元密着をより強化すれば、安易なクーポン誌を撃退できる」そんな風に考えていたのです。「リクルートが進出して来るからって、バタバタと迎撃準備するのはみっともない」という現場の進言により、全くの無策で迎え撃ったタウン誌もあったといいます。
つづく
他の方法があるから言い訳って、まったく理屈になってないんだけど。
どんな方法でやるかは人それぞれだろう。あなたが望む方法ではないからという理由で否定するのはおかしい。
議論の発端になった花岡記事の該当部分。
「知らない人についていってはダメ」。筆者などの世代は子どものころ、親から口うるさく言われたものだ。
米軍基地が集結する沖縄である。夜の繁華街で米兵から声をかけられ、バイクに乗ってしまう無防備さ。この基本的な「しつけ」が徹底していなかったことは無念、という以外にない。
http://anond.hatelabo.jp/20080210232152
図星だったんだと解釈され、顔真っ赤とか揶揄される。
見てるだけでもすごい不毛感。
スイーツになっちゃった女友達も、元増田も、自分含むその他大勢の増田も、
結局、自分の世界の外にいる人間が理解できなかったという「結果」が出た。
誰も、自分の思考の枠組みから脱出するのは難しいということなのかな。
こういう事をいえる人は大好きだ。もっと言え、毎日書け!
待ち合わせというのはその時間にその場所で、と約束するものなのです。
それを守らないということはそれ以外のことも守られない気がする。
ちょっとならいいよね、10分くらいいいよね、という人の場合、
他のことでも「ちょっとならいいよね」になる可能性が高い。
しかも本人は悪気なんてこれっぽっちもないからよけいに性質が悪い。
友達だからこそ約束は守りたいし、守らなきゃいけないし、
もし守れないときはできるだけ早く連絡を取りたいと思うし、
そのときは目安の時間はなるべく正確に連絡したいと思うよ。
そういう友達と付き合っていきたいので、元増田みたいな人は願い下げだ。
時間が守れないなら最初からそういう約束にしておけばいい。
どこに着いたら連絡するとか、家を出るときに連絡するとか。
それもあるが、それだけじゃない。その家に留まらなかったとしても、その地に留まる事は出来る。
結婚するまでは、親と同居、結婚すれば近くに家を建てる。これを何故しないのか、出来ないのか、しようと思わないのか。
一番広義な理由は、その必要がないから、メリットがないから、だろう。
多くの人にとって過疎地は不便で、そこに住まない者にとっては住む理由がない。
広告が激減してるんですよ。販売売上だけではいかんともし難いんです。
タウン誌というニッチなビジネスモデルが出来て30年。今や雑誌メディアは広告ありきみたいな流れになってますが(雑誌だけではなくメディア全体がそうなってますね)、タウン誌というのは長年編集記事が主体で制作してきたところが多いんです。大げさに言うなら『編集は聖域』という、新聞社的な考え方というか。
いくらクライアントといえど、編集方針に合わなければ記事として取り上げない。みたいな。まぁ、そこをどう突っ込むかが担当営業の腕の見せ所だったりもするんですが(記事で取り上げてもらうために、担当営業が特集に合わせて、お店に新しいメニューやサービスを提案したりだとか)。例えば、100万出すから巻頭特集に見開きで記事載せてくれ。みたいなオファーを担当営業が涙をのんで断る…。バブル期には、そんなこともあったと聞きます。
『編集方針』という、目先の利益に左右されないモノをしっかり守ってきたからこそ、「あの本に記事が載った」ということが、お店にとってある意味ステイタスになり、「あの本には、お金を払ってでも載せたい」という広告出広を呼び込んでいたんです。
広告と記事。読者にとっては、どちらもタウン誌から得られる情報です。でも、広告と記事は、「区別すべきもの」でした。それでも良かったんです。地方の個店オーナーが、広告効果と掲載によって得られるステイタスを同列に考えていた頃までは。
つづく
太ってる人もいますか?