こういう奴はどういう日記を書くんだろうと
野次馬根性でdを覗いてみたりすると、
自分の日記に自分で★連打してるような人だったりして
何もなかった、何も見なかったと、
ほんの少しの苦い気持ちとともにブラウザを閉じるの。
でも別にそれでよくねーか?
料理食べるたびにいちいち美味しんぼ並に「このまろやかなソースがあっさりとした麺と絶妙にマッチし……」とか言われても困るのと同じでさ……何事もTPOじゃん?あそこはああやって頭カラにして盛り上がるところなんだからさ
居酒屋にいて「何でも美味いで済ませるな!たとえばこのタコのから揚げにはこんな工夫があってだな……」とかいい始められても酔いがさめるだけだべ。
確かにそういう面もあるな
元増田、今まで知らなかったんだね。可哀想で笑える。
おいおい。何があったんだよ?
ああいう、小手先の言い訳とかにばっかり頭がまわるやつってなんなんだろ。
でもさー、トラブルが起る前はその「小手先」を「賢さ」だと思ってたんでしょ?
自分に都合の悪いときだけ相手を「頭でっかちの悪人」扱いするのって、気分いいですか?
結局あなたはいっつもそう。
便利に使ったあげく、方々で悪口言うんでしょ。
「交渉の技」は「言いくるめ」
「瞬発力」は「後先考えず」
「面白い発想」は「誇大妄想」
「賢さ」は「小ずるさ」
状況が変わっだけで、180度変わっちゃうんだもんなあ。
「手のひら返す」って言葉、知ってます?
ぱっと見でTB付いていると思ってしまう、と言うのは慣れだろうけど。
私的には微妙な感じ。
確定するなら確定しても良いけれど確定するの?と言う感じ。
親子だけでなく兄弟従兄弟のリンクがあるとパースが単純でなくなる。
しかし、祖先からの、そしてツリー元の情報が得られるのは良いのかもしれない。
しかし、表示ツリーのトップが一番元とは限らないのも悩ましいところ。
と言うわけで、とりあえず現状に最低限の手を入れて様子見している某所の人
第一世代:
写真が趣味のじいさんしか残っていない(かわいそうなので貼らないけど)
第二世代:
SEOを気にしていたが、もうどうでもいい感じになったっちゃったサイト
http://widegeinou.blog39.fc2.com/blog-entry-1470.html
一つ目は、猥雑なサイトなのでしょうがない。
二つ目は「ホームページを作る人のネタ帳」を標榜してるから悲しい。
第二世代、どうにかしろよ。
お前が俺の背後に見えない敵を見いだして襲いかかってきてたってことはわかった。そういうの勘弁してくれ。
「ここが落とし所だね」って話をまとめようとするのは俺は嫌いじゃない。平和的だしね。
ただ俺の最初からの主張を取り上げて「落とし所」ってさすがにそれは無いよ。人間として。
っていう方がセックスって言うよりよっぽど恥ずかしくね?
友達との会話でそういうのが出てくると思わずつい「ああ、もうセックスしたらしいよ」とかそういう風に言っちゃうんだけど
友達から言わせると「生々しすぎるよwエッチ、て言えよw」らしい
エッチの方がよっぽど生々しい感じがするのだが……
直示的定義に依らず、かつ直示的定義が必要な他の概念を援用せず「>=」を定義する方法があるだろうか?
おそらくないだろうと思う。
私もそう思います。
そして、http://anond.hatelabo.jp/20080128144537 に書いたとおり「それでも問題なく進行していくのが人生であり世界なんだぜベイベ」と思っていたり。
それにしても、渾身の努力をふるって書きまくったエントリよりぼーっと蟹の話を書いたエントリの方が人気なのはどういうわけなんだwwww
「あなたのこと、好きで好きでたまらないってわけじゃないから、こういう関係でいられるの。行くとこまで行っちゃったら、あなたと同化しちゃって、自分を殺したい私は貴方も殺しちゃう」
「なめるな。そんときゃ返り討ちにしてくれるわ」
先日実際にした彼女との会話です。ああ愛おしい。
http://anond.hatelabo.jp/20080129103249
http://anond.hatelabo.jp/20080129104430
うそん。まじで?
ツリー浅いといいけど、深くなるとネスト見にくくない?
えっと、あとで見にくいツリーを提示するから、見やすいって話をもう少し教えてくれ。
> 直示的定義に依らず、かつ直示的定義が必要な他の概念を援用せず「>=」を定義する方法があるだろうか?
おそらくないだろうと思う。
数学の根底部分は直示的概念だろう。「リンゴ」という個体の認識、その個体を数えるという自然数的行為、別々の個体がそれぞれ「リンゴ」であるとする類型や比較、そういった個体の複数を群、大きさや重さといった連続的な量、空間を埋める形。
一旦「数学」と言う概念を取り払い、そこから数学の何らかの概念の定義を試みる。すると、数学における定義をなんら持たず、日常使われる一般的意味を持つ言葉・単語を用いて定義を行うしかない。そして、厳密に定義されない日常の言葉は直示的概念を含む。
では、数学とは根本的に人間の感覚に依存したものであり、もし、人間とは違う感覚を持つ知性がいたら、根本から異なる数学が生まれるのか?
おそらく生まれないだろう。少なくともこの宇宙では。
人間は、その発生の瞬間から物理的法則の数々により存在してきた。取り巻く環境も含め、そのすべてが、これらの法則の元で存在している。そして、それらの法則は数学により記述される。
したがって、私たち人間は、今の数学的記述により表現できる物理環境に最適化される形で進化してきており、その環境を認識する本能的感覚が数学的影響を受けるのは必然である。
http://kenichiokuyama.blogspot.com/2007/12/46-leadership.html
おまいら、こういう話好きだろ。
職場でも回覧させたいけど、プロフィールのおっさんの顔写真とこっぱずかしいblogのタイトルで躊躇している。
なんかうまい手はないものか。
そうでもないと思うよ。
そんな批判はネットじゃよく見るけどリアルじゃほとんど見かけない(そんな攻撃的な事を言う日本人はとても少ない)。
ネットでも、漫然としてるようでは滅多に出くわさない。
自らそういう、理系vs文系話とかが好きそうな場に出向かないと滅多にない
で、そんなわざわざ自分から出向くような奴っていうのはそもそも既に自覚的だし。
しかし最初からそんな自覚的な奴は理系じゃ少ない
そんな感じの似非インテリ風味に酔ってる奴が悲しいけど大半ですよ
論理的思考とかを好んでるフリをして、論理的な言い方をしてるフリをして、本当はそうたいしたこともなく
本人がそれを一番分かってるからこそ、自分が理系的な素振りをする事を諦め、ついには文系的な素振りをする奴らを否定して自分のアイデンティティを保つこととなる。やれ感情的な奴はどうこう、やれスイーツはどうこう、本当は分かっているくせに「正直に論理的な事を言ったらなぜか気分を害されたのだけど何故だろう?」みたいなことを言ってみて天然理系を気取ってみたりする。
そんな理系人がどれだけ多い事か。ぼくは散々見てきたよ。
理系なんぞ、学部生の段階ではたかだか大学入試のときに理科を少々余分にやっただけの存在だということをもっと自覚するべきだ。
ていうか、逆に言うと、たかだか入試の時の科目程度の話なのに、「理系」「文系」とかいい始めるから、こういう勘違い若者が出てきてしまうんだよな……高校の数学や理科が少しばかりできたら理系とかアホかっつーの。どんだけ敷居低いんだよ理系。