下手すると「オタク=アニオタ」とか思ってる一般人がいたりするほど、オタクってのはアニメが好きで見まくってると思われてる気がするけど、正直アニメとかどうでもいい。漫画は大好きだけど、アニメは全然どうでもいい。
オタク=アニメだと思うなっていいたいわけじゃないけど、なんでみんなあんなにアニメとか見るのかな?って不思議でたまらん。ぶっちゃけ言うと、あんなもん面白くもなんとも無い。俺的には。そりゃ、いいものはあるよ。なんだってそれはそう。でもほとんどのものは別に面白くも何ともない。
特に一番分からないのは、漫画のものをアニメ化したりすること。意味わかんね。何の意味があんだ?漫画の絵が「動く」事に、どれだけの意味があるっていうんだ?そういう「動き」を、紙面で表現してるのが漫画なのに、別にわざわざ動かさなくたっていいじゃないか。寧ろ、本当には動いていないからこそ、リアルよりスゴイ動きを表現したりできるわけじゃん。わざわざ動いたって別に何も面白くない。もともとその動きを十分紙面から想像できてるわけで、それをあらためてされても「はあ、まあ、その通りですね」としかいい様が無い。何も増えてない。オリジナルならまだしも、漫画原作のアニメなんて漫画をなぞってそれをただ動かしてるだけで、存在する意味が全く分からない。そんで漫画と違ってアニメになると自分のペースで見れないし(特にテンポ命の漫画なんかはたいていそれがグダグダになって酷いことになってる)。声なんて、別にあてがわなくても読んでて脳内で流れてるからどうでもいい。アニメ化すると、仕方ないのだろうが、絵はたいていもとの漫画より劣化する。話も変にオリジナルとかいれだして。それをセコセコ動かして、声あてて。なんか、頑張ってるなとは思うけど、その頑張りが空回りしてるっていうか。キャラソンとかほとんど元の原作からかけ離れたグッズ売り出して、もうわけわかんない。それにのってるオタクもわかんない。何が楽しいのか。祭りのようなものなのか。そうなんだろうなあ。
ええええええええ
聞く対象の、周辺の人間が違うから水掛け論だけどさ、俺の周りで心霊写真なんか信じてる奴いないよ。
つーか、それはさあ、本気で信じてるんじゃなくて、ほとんどの人間がその場のノリで言ってるだけっしょ。マジで信じてる奴なんてほとんどいないって。寧ろ、そういう反応を「ガチだと信じてる」君こそもうちょっと懐疑的になるべきなんじゃと思うんだが。
ていうかさ。グループかなんかで、誰かが「心霊写真だ」って見せてみてさ、そこで変にマジになって「そういう風に見えるだけでしょ」「トリックじゃないの?」なんて、「当たり前すぎる」ことをわざわざ言う痛い奴がいるかって話。今時心霊写真なんて作りものだってほとんどの日本人は分かってて、分かりすぎてて、当たり前の事実なわけ。そんなこと、わざわざ言わないって普通。敢えてのってるっていうか、ぶっちゃけ、どうでもいいから適当に「へーすごい」とか言ってるだけだろ。
君の周りにそういうガチな人が多いのだったらこれは当てはまらないけど。そんな特殊な環境にいるわけ?なんかオカルト研究会とか。
自分は物理系の学科の4年である。
自分の専攻では、4年前期は卒研をしないで、ゼミにより卒研に必要な能力を身に着けるとの名目で週1程度の輪講を行っている。その他には特に研究室から課せられるものはない。
・週に一度しかないゼミなのに、先生が日にちや時間を忘れる。ちなみに、日にちや時間を決めたのは先生だ。始めは13:00からと決められていたが、先生の都合で時間は変更になった。しかし、そう決めた次の週には先生は時間を忘れていて、呼びに行くまで研究室に閉じこもっていた。先生が外部から講師を連れてきて、セミナーを院生に向けに開いてるときなどは、そもそもゼミを忘れて人が呼びに行くまで2時間くらい放置されたこともあった。毎週同じ日にやっているにもかかわらず。
・先生は予習をしない。本は先生が決めたものなのだが、決して学部4年には簡単な本ではない。自分も一生懸命調べて読んだつもりだが、内容がよく分からないところもあった。しかし、ゼミのとき先生に尋ねても「よく分からない」と言われることが多く、理解できない箇所がたくさん生まれた。分かるのならいい、しかし、自分も読んでない、ましてや聞かれても分からないことが載っているような本をゼミの本に選ばないでほしかった。さらに、本の薦め方も行き当たりばったり。あるセクションが終わりそうなったら、先生の趣味で次に読むセクションが決まる。これが毎回言ってることが違う。ある週では「ここは読もうか」と言ってることがある週では「読まなくてもいいんじゃないかな」となっていることが多々あった。学生は着いていけなくなった人がほとんどだが、そんなのお構いなし。
・先生が不在の日が多すぎる。2週に1回は先生は出張やお出かけでゼミに参加しない。世界的権威ってわけでもないし、そこまで多忙なはずはないのに。7月末まで大学の授業は存在するのだが、残り3週は全部出張があるため、と言う理由で今週以降は自主ゼミという形をとらされ、今週で最後のゼミになった。
・成績が一定の評価。発表を多くした人も、全く発表さえしなかった人や欠席ばかりした人も、全員最高評価を与えると今日宣言した。元々そういう方針だったのならまだいいが、どうやら学生の名前を覚えていないので誰が誰か分からず、めんどうだからというのが理由らしい。これでは発表を何度もした人が報われない。
自分でこういうのもどうかと思うが、自分は前期のゼミはかなりがんばったと思う。決して、「お前たちが甘いんだ」なんていわれるようなぬるいことはしなかった。ゼミの発表は積極的にしたし、予習もみんなで議論しながら行った。 大学の教育に過剰な期待は寄せていない。しかし、これはあまりにひどいと思った。大学とはこういうところなのかと絶望した。週1回のゼミもろくにやってくれないなんて、高い学費を払いっている価値はどこにあるのか。こんなの教育の場ではない。放置プレーして実力を伸ばすのが大学のやり方なのか。
俺はレベル3が該当するけれどもレベル2からは外れているんだけど
こういう時はどうカテゴライズされるのかな?
レベル2.5とかになるのかな?
男の同性愛者ってこっちの都合を考えないものだと分かっていたけれども
女の同性愛者も同じようなものなんだね
きちんと言った方がいいと思うよ
レベル0の人は、サザエさんやドラえもんなどの国民的アニメしか見たことがありません。オタクが見るようなアニメに関しては存在すら認識していません。世の中のほとんどの人は、このレベルです。
レベル1の人は、子供との付き合いでアニメを見ます。休日の朝や夕方のアニメについてはそれなりの知識がありますが、子供と一緒に寝るため、深夜アニメには縁がありません。
レベル2の人は、レベル1の人たちと同じようなアニメを見ています。ただし、子供のためにではなく自発的に見ています。キャラクターの名前もよく覚えています。このレベルにある人は1年で別人のようにヤバい人になっている可能性があります。
レベル3の人は、深夜アニメや独立U局に手を出し、いわゆる萌えアニメなども多く見ています。ネット等でオタ仲間と交流し、より多くの知識を吸収していきます。実況板に入り浸っている人たちは、主にこのレベルです。
レベル4の人は、声優陣や製作スタッフなど、アニメ作品の周辺知識に詳しくなります。オマージュやリスペクトなどを分析して評論家気取りの文章をネット上で公開したり、作画監督による絵のクセを分類したり、アニメを楽しむというよりは分析の対象にしている人たちです。
レベル5の人は、アニメが好きなあまり業界に飛び込んでしまった人たちです。このレベルにある人は、過酷な業界の現実を目の当たりにし、アニメに対し複雑な感情を抱くようになります。ちょっと気を抜くと、あれほど必死に集めたグッズを焼き捨てて田舎に帰ってしまうかもしれません。
レベル6の人は、アニメ業界で上層にいる人たちです。レベル5で猛烈な下積みを行い、チャンスと才能に恵まれた人だけがこのレベルに到達できます。このレベルにある人は、作品の内容の一部、あるいは全てを決定する権限を持っています。このレベルの人たちは、アニメが好きなのか嫌いなのかよくわからない発言をすることがしばしばありますが、心の底ではアニメを誰よりも愛している人たちです。
富豪的プログラミングっていうけど、あの傾向、良くないんじゃないのかなとちょっと思った。
メモリは増加した。沢山使える。CPUは速くなった。どんどん演算させられる。
でも、CPUが速くなっても、メモリ速度が向上しないとダメなんでないのかな。或いは、CPUキャッシュが増加するとか。でも、メモリは速くなるよりも増える方に偏ってて、CPUは増えるよりも速くなる方に偏ってるんじゃなかろうか。最近はそうでもないかもだけど。
で、偏ってるとなると、じゃんじゃん湯水のように使えーっていうんじゃなくて、出来る限りCPUの演算能力、メモリ保存量という特性を有効活用するような、別のテクニックが必要なんじゃなかろうか。
心霊写真や、「見た」っていう証言なんかで反応を見てみるといいよ。
「神の声」だとかの話は精神的な問題だとか何だとか言って信じないのに、心霊を見たという証言を信じる人間のどれだけ多いことか。幻覚じゃないの?と言ってしまえる人間がどれだけ少ないか。
心霊写真だって、光学的偶然やトリックを疑うべきところを、それをしない人間がどれだけ多いか。犬の肛門やら何やらに現れたジーザスを嘲笑するにもかかわらず。
駅前と海外を同じ土俵で扱うのは乱暴にも程があるというもの
駅前では凝り固まった自分の中の何かに圧倒的な破壊力とともに気付くことはできない
ちょっとしたことで職員の方に、嫌がられたか、嫌われたかとおびえてしまった。
人の気持ちを気にする怖がる癖いつになったら抜けるのか。
行動を表面的に変えても意味がない気がしている。なぜってことあるごとに、新しい状況に直面するごとに必ずそれが出てくるのだから。
解放されたい。
あああ愛はああねええ
きききき競うモノでは
ないのだよおおおおお
だから
んんままままままずは
んんんそそその愛をを
そのすすばらしき愛を
まずは
う受け止めめめなされ
うううけきゃキャッチ
ううう受け止めなされ
愛とは素晴らしい
しかし空振りでは
成立しないのも愛
そもそも、誰かが作ったから、誰かが言ったことだからといって後者を否定している人ばかりではない。誰が言ったどうこうによって信じないのではなくて、彼らはそれがナンセンスであると主張する(そもそも、誰が作ろうとも、それが疑うことの出来ない真実ならば信じるほかないということくらい、理解しているはずだ)。「そんな都合の良い神なんて存在しない」云々。にもかかわらず、スピリチュアルに代表されるように、より胡散臭い人間の言った、何の根拠も無い都合の良い与太話を易々と信じ込む。同じナンセンスであるにもかかわらず。文化だから苦笑して大目に見ている、というわけでもない。そもそも疑いそれ自体を差し挟んでいないとしか思えない。
結局のところ、宗教だから疑い、不信となるだけで、宗教でなければスルーしてしまう。或いは、文化であればスルーしてしまうと言い換えてもいいかもしれないけれど。これがコンピュータであれば、明確なセキュリティホールだ。もちろん問題のない人間はいないし、誰もがこういった問題を持っているはずだけれども、これほどまで明確に問題点を突かれて、なお気付けないでいる。
彼らに問いたい。文化であればどんなに不条理なことであろうと信じられるのかと。恐らく否が返ってくるだろうが、彼らの行為それ自体は、まさにそうした不条理信仰のはずだ。彼ら自身、宗教であれば不条理と切り捨てるまさにそのものを、宗教から乖離しているがゆえに信じてしまっているのだから。
要求したいのは、文化に対する寛容を宗教に適用してもらうことではない。
並んで座ってると、本当にときたまなんだけど二の腕をつまんできてウザい。
普段から頭撫でたりほっぺたつついてくる子で、別にそれに関しては放っておけるんだけど。
二の腕がタプタプしてるコンプレックスがあって、だからあんまり触られたくない。
脇から5センチくらい下の、本当にぷにぷにしてるところを揉まれる。
時々気持ち悪いとすら思ってしまう。普段人に触られるところじゃないからやだ。
初めは、あんまし身体触られるの好きじゃないけどこれもこの子の表現方法か!ってガマンしてたんだけど、
一つの告白と共に二の腕脇下ぷにぷにがどうしてもヤなんだと今日感じた。どうせぷにぷにだよ…泣きそうになる。いっつもやめて!ってその手を叩いて(平手で、強く)やめさせるんだけど、時々思い出したようにやってくる。触るな!って言ったほうがいいのかな。そうしたらあの子凹むかなあ。
…ほんとはあの子が身体触ってくるのがちょっと怖い。彼女、レズなんさ。自分はそういうのに偏見ないって思ってた。全然平気だって。自分がその対象だとは思わないけど、でもあまりに至近距離だと怖くなる。冗談でもキスされそうになったりするの、ちょっと怖かった。…もうやだ
オレから妻への愛は、妻からオレへの愛に負けている。
オレは妻を愛している。しかし妻はオレを超愛している。超超愛している。
明らかに負けている。
妻→オレ>>>>>>>>>オレ→妻
お互いに同じくらい好き合ってゴールインするのが理想かもしれないけれど、それは相当レアケースだろう。
妻に愛されていることは素直に嬉しいし感謝してる。
でもオレはその愛に応えられていない気がして、そこがいつも申し訳ないような気持ちになる。
別に海外でもなんでもいいけど、知らなかったものを吸収しようとしてきたことの積み重ねこそが人生経験なんじゃないの?
「海外なんていったことないもん!」ってすねるじゃん。
人の境遇にはいろいろあるから別に海外じゃなくてもいいんだけど、
隣近所の駅10個の駅前探索するぐらいの行動力は欲しいよね。
駅前を探索したことがある!というのが、すなわち人生経験だとは言わないけど、
気が付いたらマインスイーパを起動
そしていつも2択で死ぬ
あきらめずに「4」とか「5」を挑戦するけど
すぐに地雷にはまる
自動化ツールがあれば楽に
クリアできるけど
何回やっても何回やっても
上級が越せないよ
あの地雷何回やってもかわせない
旗を立てたとしても
次の地雷にぶち当たる
うまく旗を立てても
「8」相手じゃ意味がない!
だから次は絶対勝つために
僕は「1」だけは最後までとっておく
私は、どちらが大切ってことはないと思うな。
たとえばアメリカのトイレは便座が高いとか、リオデジャネイロのビーチは砂が粗くて軽くて、海に入ると波にまかれた砂にまみれちゃうとか、そういう細かな発見や体験がたまっていくのが面白い。
一人でただ行ってうろつくのでは限界があるから、情報収集もする。
地元のガイドさんから街の歴史を学んだり、そのへんのおばちゃんに話を聞いたりすると、目に見えているものの理解が深まって楽しいよ。
ハノイは「河内」の意であるとか、上海育ちの人が自分を「中国人」というより「上海人」だと感じているなんて話を聞けたりする。
海外からの留学生に観察されて、逆に自分について知るのももちろん楽しい。
そういう人向けに、「日本ではこういうことが普通なんだよー」と紹介できるネタを持っておくとなお面白い。
海外云々でなくても、マッカチンの話だってそうだ。普通にその言葉を使っている人にも、初めて聞いた人にも、お互いがコミュニケーションをしたことで発見があったでしょ。
何でそんな彼に依存しちゃってんの?