皮のあまったお兄さんと遊ぶコトです。
他人が大事に信じている友情やら愛やらの「幻想」を壊すことが如何にに楽しくて人間的豊かさに満ち満ちたものかお前は知らないようだな……
まずは
そ の 幻 想 を ぶ ち 殺 す ! !
http://anond.hatelabo.jp/20070329020830
これに尽きると思う。
暗黙の了解ってのは口に出すものじゃない。
事実は「損得勘定」でもそれを見ない事にして、友情とか愛とかという「幻想」を信じる方が、人生が「楽しい」=「得」という価値観が理解できないのは、損していると思う。
プロファイルするに、お前、空気読めないって言われるし、友だちいないだろ。
損得勘定といいつつ、損な事ばかりしているお前が愛想つかされるのは当然でしょ。
おまえとしゃべらなくなるのは、言っている事がおかしいとか、間違った事言っているというんじゃなくて、お前といっしょにいると、つまらない=損だからだよ。
次のお題。例によっておまかせ表示により決定。日本に戻ってきたぜ。
コンスル(曖昧さ回避):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%AB_%28%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF%29
↓
呉ポートピア駅:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%94%E3%82%A2%E9%A7%85
あなたは田舎にすんだことがないんじゃないのか。
田舎の人間達が精神的にすぐれているかといったら全くそんなことはなかった。
ムラ社会的な閉鎖感があって息苦しかったよ。
田舎の土地持ちなんか富豪だぞ?
ちと違うんでね。周囲も含めた経済レベルの高さや、知的生活、文化的生活ってモノを誤解してないか。土地持ちの富豪がいたって意味はないのよ。あと都会のほうが非健康的というのは幻想じゃね? 都会圏と田舎圏の平均寿命の差とか誤差だしね。
もちろん、田舎でロハス的(この言葉自体は大嫌いだが)生活を追及するのも、都会で文化的生活を追及するのと等しく価値はある。片方を「精神的に低い水準」とか言い切っちゃうのはどーよ兄弟。
人と仲良くすることで受ける「デメリット」ってのもあるじゃない。
例えば結婚して、相手が難病にかかって莫大な手術料がかかってしまうことになった。
でもそれで自分の損となる相手を切り捨てられるかっていったらそうでもなく
その苦労を引き受けてしまう。それが友情とか愛というものだと思う。
「病める時も健やかなる時も」です。
「人間関係も結局損得だ」と言われてしまった相手は
「じゃあお前は、私がお前にとって“損”になってしまったら見捨てるのか」と
無意識にでも思ってしまうんじゃないかな。
自分の好きな作品を貶されると人はここまで「評論」をもって貶す奴を貶したくなるってことか。ループループ。
あるいは、自分の好きな作品を貶す言説が広まることがそんなに嫌なのか。自分ひとりが好きでいられるなら別にそれでいいのにねぇ。俺はアニメ見ないのでこの増田の評論が「分析モドキや事実の捏造を含めて見解を正当化・権威化しようという試み」じゃないかどーか正直分からんよ。結局「どんなアニメでも楽しめない奴はうんこ」という主張を延々「それっぽい言葉」に膨らませてるように(この場合アニメファンという世界の外側にいる人間からは)見えてしまうので。
> 高い水準の生活(知的にも経済的にも)からの疎外感
ワラタw
都会にいれば知的になるとでも思ってるのかなw
経済的に水準高いってのも、都会だからってわけじゃないし。
田舎の土地持ちなんか富豪だぞ?
んみゃー。
靖国神社:A級戦犯合祀に絡む内密資料 国会図書館公表−今日の話題:MSN毎日インタラクティブ/靖国合祀、旧厚生省が積極関与…国会図書館が資料公開 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
二つまとめて外交的にはどうよ、となるだけと思いますが。
<分類>
(a) アニメを長く見ていて、アニメの見方の作法を確立している人たち=オタクエリート
(b) 好きだ!という理由だけで作品を楽しむめる人=非オタクエリート/一般オタク層/ライトオタク
(c) みんなが誉めた作品が良い作品だと思っているだけで自分の意見で好き/嫌いを判断しない、もしくはその勇気がない人=ミーハー?
(d) アニメには興味がない。ネットでみんなが褒めているのにその良さがわらないため、否定する人=ネットが好きなだけの人
私は、(a)と(b)の間に、"ある種の層"が存在し、増殖しているのではないかと感じています。
つまり、オタクエリートに成り損ねた非オタクエリートという人たちです。
成り損ねた、などと乱暴に書くと「貴様はオタクエリートの方が非オタクエリートより偉いと思っているのか!」
と叱られてしまいそうですが、どちらが上か下かという気持ちはなくて、
非オタクエリート>オタクエリートという通常であれば歩むラインから外れたはいいもののどこにもたどり着けない隘路に落ち込んじゃった、という意味です。
ぶっちゃけ、私は、彼ら特有の言説はオタクエリートにとっても非オタクエリートにとっても有害
(あるいはアニメという表現媒体そのものにとってさえ有害)な存在だと思っており、
その危険性をしっかりと指摘しておきたいなぁ……というのがここ一連の作文に至った動機であります。
一昨日、昨日の前置きがないといささか乱暴になってしまうと思いこれまであえて「オタクエリート」という言葉に"ある種の層"を仮託してきましたが、
前置きが完了したのではっきりと書いてしまおうと思います。
「なんちゃってオタクエリート」が、オタクエリートだと勘違いされている状況が多いのではありませんか?
コメントやトラックバックで「君はオタクエリートという言葉を勘違いして使っているのではないか?」という指摘を頂戴し、
我が意を得たりと思いました。
■個人の好悪表明が評論と勘違いされる事の危険性
なんちゃってオタクエリートは基本的には(b)に属しています。つまり、「好きだ/嫌いだ」という気持ちが言論の主体にある人たちということです。
前回、前々回の指摘の繰り返しになりますが
http://anond.hatelabo.jp/20070326142734
http://anond.hatelabo.jp/20070327135230
彼らにはまず「まなびが嫌いだ」という気持ちがあって、それが発言の主体となっている。
「好きだ/嫌いだ」を表明することは大いに結構、キュートで好ましい、それが私のスタンスです(前回書いたとおりです)。
ただ、私は、彼らがその「好きだ/嫌いだ」をそのまま表明したがらないところに――
分析モドキや事実の捏造を含めて見解を正当化・権威化しようという試みがなされているところに歪みと危険性を感じます。
まず、非オタクエリートが、なんちゃってオタクエリートの見解を「権威」だと誤認し、それに流されてしまう危険性を挙げておきます。
「2chで絶賛されていたから面白いんだろう/糞と言われていたからつまらないんだろう」といった発言は、
"嘘を嘘と見抜ける人でないと2chでは有益な情報を得ることができない"というコモンセンスの敷衍によって淘汰されつつあります
(実は淘汰されていないんですけど、まあ、表面上は淘汰されたということにしときましょう。少なくとも、口にしたら恥をかくしね)。
しかし、前述のコモンセンスは"嘘を嘘と見抜ける人でないと『ネットでは』有益な情報を得ることができない"という形にまでは一般化していない。
顕著なのがwikipediaですね。「2chに書いてあったから」と口にするのを恥と感じる人が、「wikiに書いてあったから」と言うことを愚かな行為と思わない。
これはwikipediaがまとう"権威のかほり"が大きいのではないかと私は考えます。
「wikipediaってなんかアカデミックなかんじがするよね!」「なんかエリートなかんじがするよね!」ってことですな。
非エリートはそれを真実かどうか見極めるだけの経験や知識がないがゆえに、権威風のものに幻惑されやすいわけです。
さて。
なんちゃってオタクエリートの感想文は、分析に見えるものやそれっぽい言葉が多用されているので"権威のかほり"だけはまとっています。
そのせいか、実際は一個人の好悪の表明であるにもかかわらず、非オタクエリートにはそれが一般性をもった評論に見えてしまう。幻惑される。
http://anond.hatelabo.jp/20070326142734 この程度の明らかな事実誤認(捏造)さえもが
http://hibizaren.blog93.fc2.com/blog-entry-130.html こうしたニュースサイトなどを経て伝播し、
「ふーん、まなびストレートって結果としてアニオタの大部分に失笑を買ったまま終わる事になったんだ。糞なんだね」
というように非オタクエリートを洗脳してしまうのではないか、という危惧を抱く次第であります。
実際に見たら人生を変えるほどの傑作なのかもしれないのに、見て、自分で判断する機会自体を奪っているのではないかと。
ひいてはモノを自分で判断する思考実験の場を奪い、自分なりのアニメ鑑賞作法を確立する機会を奪っているのではないかと。
こうした「なんちゃってオタクエリートが非オタクエリートをなんちゃってオタクエリートへと導く構図」にもあるように思います。
作法さえ確立してしまえば、ぶっちゃけアニメの出来とは無関係にアニメは楽しめるものです(笑)。
自分ひとりで深く深く井戸を掘り下げてそこに水脈を見出すことができる。あるいは掘り下げる作業自体が楽しみとなる。
それができないとアニメに飽きちゃうわけです。
どんな美人だって三日すれば飽きるそうなので、10年も20年もアニメを見続けていればそりゃ刺激は落ちますわな。
アニメは愛している。
でも勃起できない。
愛しているからアニメと絶縁するわけにもいかない。
自然、「昔はよかった」「今のアニメは」という愚痴ばかりが出てくる。付随して「業界の体質が」「最近のアニオタは」という批判をおっぱじめる。
そんなオッサンをネットの辺境で見かけたことがありませんか?
私はそれをとても不幸なことだと思います。
さて。
これとは別に、「オタクエリートの真に価値ある評論がなんちゃって評論の叛乱によって埋没するのではないか」、という危惧も抱きます。
人間というものは、わかりやすかったり乱暴だったりダークな言説にぴょんと飛びつくものです。悪貨が良貨を駆逐するのではないかと。
http://anond.hatelabo.jp/20070329053812
Aへの分配金は、『100ドル??Bへの分配金』? それともBへの分配金と同じ?
後者だと、Aが分配金を100ドル以外にする理由がない気が。
あと、Bは「俺が満足する金額でないと二人とも0にしてやるぞ、それが嫌なら俺にもっと金を寄越せ」という意味をこめて、Bへの分配金が50ドル以下の時にNOと返すのがBにとっての最適になりうる気が。今の1ドルを捨てて、後の60ドルを得る、みたいな。