白日 到らざる処
青春 恰も自ずから来る
苔花 米の如く小さきも
也牡丹を学んで開く
日の当たらない所でも
春はしっかりと訪れている
苔の花は米粒ほどの大きさだけど
それでも牡丹の真似をして精一杯咲いている
袁枚
http://anond.hatelabo.jp/20070209155341
「ELLEGARDEN」を周りに薦めてくるやつの話。
海外の音楽なんぞ聴いたこともなく、J-POPしか聴いてないようなアレな日本人が、
ちょっと「カッコイイ英語」っていう要素を入れた音楽を聴いた途端に目覚めて、
これはいい、これはいいと勧めまくってくるってだけの話じゃないのかな。
急に高尚さを求めだした的な。
「ELLEGARDEN」は英語の詩の出来がいいとは言うが、
洋楽をたしなんでいる方面からの評判は聞いたことがない。
(あったらゼヒ紹介してください、聴かないけど)
出来で言えば圧倒的に、洋楽>>>>>>ELLEGARDENなんだが、
ELLEGARDENで満足している、と見ることが出来るのではないかな。
追記:こういう文章に対するよくある反応
追記:その他
「高学歴ですが何か?」
「リアルに友達いますが何か?」
「就職してますが何か?」
オチは無いよ。
この時間に起きている諸君はそうはいまい。
さぁ、起きた諸君から窓を開けて、空気を入れ替えよう。甘い空気を感じるだろう。
新しい一日の始まりだ。
一日の始まりを予感させるあの朝焼けをみよ。
今日も一日よく過ごそうではないか、同胞たちよ。この朝焼けに誓うのだ。
増田。
性欲が表出されているかどうかではなく、
性欲がある文化コードに準拠した形で表出されているかどうか、
ということだけが問題としてフレームインされるんだろうと思うよ。
その表出はキモいということになる。
で、文化コードの中身は、セックスを巡るその時代や地域のモード。
必ずしも常識化されていなくとも何らかの意味で望ましいものと認識されていればよし。
認識されているからおとがめなし。
秋葉原的な性欲表出はコード適合的なものとして認識されなかったんだろう。
なんでそうなのかは知らん。
re: 秋葉原の露骨な景観
たとえばデートするっていう行為
高校生のペアが二人で手をつないであるいてると、
今では微笑ましい感じですが
昔は恥ずかしいこと、隠れてやることだとみなされてたみたいです
ものを食べるという行為もおなじで、
食事をしている姿を他人にみせるもんじゃない、と考えてた人がいたみたいです。
ちょっとまえ、お茶漬けを食べる姿を映すだけのCMがあったけど
あれで騒いでた人は、そういう価値観なんでしょう。
現代に生きてる私たちが
「性描写が堂々と店の軒先に並んでいる景観」を嫌う気持ちはよくわかるし、
人それぞれの奥ゆかしさは大事にしていけばいいと思います
でも将来、次の世代は今の人たちが想像も付かないような「恥ずかしい」ことをしてくれるんでしょう
そして、上の世代は、下の世代の理解できない行為を規制したがり、「奥ゆかしさ」を求めるのでしょう
良くも悪くも人の価値観は変わり続けるのでしょうね
よくわかんないけど、イエズス会とかの伝道活動もキモいってことになるのかな。
あるいは企業の商品PRとか。
そうでない場合には、ここでは、他人に何かの価値を共有してもらおうと働きかける行為そのものではなく、
行為目的というかメッセージ内容に当たる価値のほうがキモいと捉えられていることになる。
いや、それはそれで別にいいんだけどさ。
一応キットに胡桃が付いておりました。で、「くるみだけで足りるのか?」という疑問が頭をもたげ、他にナッツ類を足そうと思ったのですが……やはり食塩入りは駄目ですか……うおおおおおセフセフッ!!!! 危ない所であった……。有難う御座います。キットにあるのだからその量を信じる事に致します。
そして、来年は、と云わず今すぐに良縁があるように拙宅にてご祈祷を執行させて戴きます。個人的には14日までに成就し、是非貴女に慌てふためいてドキドキわくわくそわそわして戴きたい。わらい。
友達にチョコをやるというのは昔からそれなりにあったし私も結構戴いたのだけれども、「友チョコ」等と云う言葉が出現したのは一体何時の事なのだろうか? 義理チョコが下火になった故、今度は友人関係で云々、か。
http://anond.hatelabo.jp/20070210230240
「男オタはキモい。精子臭い」なんていうのは昭和のキレイごとなのか。きょうは社会と自分の意識の変化に気づかされる小さな事件があった。
秋葉原の裏通りは同人ショップで埋まり、露骨な性描写が堂々と店の軒先に並んでいる。はてな匿名ダイアリーでは女性らしき人がエントリーを書き込んでいた。私に当然彼女?を知らないので、文体や文中ににじむアタシ倫理観で判断するしかないが、年齢は20代半ばから30代ぐらいか。エントリーにはエロゲ好きの友達という人が登場している。文中を読む限り、男性の性欲への嫌悪感をむき出しにしているようだ。
このエントリーに気づいたのは、この一般ぴーぷる側(と、振舞おうとしているであろう)の女性が「一般的な人間はそういったものを秘め事として扱っていて、美だとか性欲だとかいうものは奥ゆかしく嗜むのだと思う。」「白昼堂々ズリネタを求めて歩き回る姿を許容している街がある、というのは何とも。。。」などと、かなり大きな声で話しているのが耳に入ってきたからだ。どうも自分の考えているキモオタを糾弾して秋葉原を浄化させたいらしい。
ここまで嫌味っぽく言われると、まったく関係ない第三者の私だってちょっと気分が悪い。すっかり眠気が覚めてしまった。はてなIDを持っている私がエントリーを書き込めば、もう1人ぐらい誰か賛同のトラバを送ってくれるだろうと思ってキーボードをたたこうとした瞬間、ランドセルをしょってバンダナを頭に巻いた若者が口を開いた。
「あんたさぁ、はてな匿名ダイアリーでそんなエントリーを書くぐらい空気読めるのに、秋葉原の裏路地ぐらいスルーできないの? それっておかしくない? 秋葉原駅前にあるのはサトームセンとヨドバシカメラであってメッセサンオーとかあきばおーじゃないだろ? こっちはこれから年に4回しかないサンクリに行くところなんだよ。だいたいさぁ、「奥ゆかしさを見せて欲しいなぁ」と俺らに求めるくせにおまえは「精子臭い」だの「ズリネタ」だの美のかけらもない言葉使ってるの分かってる? 俺があんたみたいな女じゃないから少女コミックレベルな性描写のゆるい基準なんてもらえなくて、優雅にやおい語りなんてやってられないんだよ。秋葉原の裏路地で肩身狭くぶるぶる震えることしかできないんだよ。とにかく奥ゆかしく嗜みたかったら上野の現代美術館に行けよ」
細部の表現は覚えていないながら、こんな感じ。オタオタしているように見えるキモオタの意外な発言に正直言ってビックリ仰天した。「オタクは教室の隅の席でガタガタ震えてましょう」とか「ここ晴海のコミケ会場には10万人の宮崎勤がいます」などというキレイごとを聞いて育ってきた世代の私にしても、彼の言っていることは正論に聞こえた。あたしって壊れてきているのかな? 浮かせかかった腰を再び降ろしちゃったよ。1人の一般ぴーぷる側(と、振舞おうとしているであろう)の女性は凍りついたように黙りこくり、はてな匿名ダイアリーから消えていった。ほかのブログに乗り換えたのかもしれない。
パタリロで
花に嵐のたとえもあるぞ。
サヨナラだけが人生だ。
の部分だけを見て知っていたがフルバージョンがあったとは
しかも訳が井伏鱒二とは
うん。良い詩だね。
オタクを嫌いな人の心の中にだけいるんじゃないですか?
なんとなく思い出したので紹介。
唐の詩人、于武陵による『勧酒』
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
井伏鱒二による訳
コノサカヅキヲ受ケテクレ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
はてな好きの論調って、みんなこうなの? 具体的にどんなものかというと……。
・「〇〇をはてなで最初にやったのはotsuneだ」「後に〇〇などが影響されてはてなちゃんをつくった」などのルーツ話が好き。
・すぐ衆愚化を記事中に用いる。
・「○○がブクマしたときのめがっさにょろにょろってタグがいいよね」「それに、〇〇のぽんぽこたぬきさんってタグとかね」と、意味のわからないタグについて語り合う。
・「最初は〇〇が好きだったけど、やっぱり……」と、自分の中の思い入れの変遷を語る(最初はkanoseだったけど、やっぱりzoniaだね、みたいなやつ)。
・はてなにおける「プロレス」というもののとらえ方、議論の浅さをほめちぎる。
・いくらブクマしても足りないという(その時点ですでに数時間経過していたり)。
・「知ればもっと面白い」と他人にすすめるのに、わからない用語などをあえてそのまま説明なしに使う。
・ululunの悪口を自分で言うくせに、便乗して他人が言うと「おまえは何もわかってない」と言う。
皆さんは、そして皆さんのまわりのはてな好きは、どうですか?
上記の例に「そんなの当たり前じゃん」という人がやっぱり多いのでしょうか。もうちょっと若い、増田世代はまた、別なのでしょうか。
http://anond.hatelabo.jp/20070211013518
ただ、女性向けにはあのような気持ちの悪いマンガが全国のコンビニに普通に存在しているが、男性向けは隠されている。このことを許しておきながら秋葉原だけを特別扱いし糾弾する人が居るってことが何とも寂しい。
有害図書を糾弾したり規制したりする人ってそういう類の雑誌類を日常的に見ない人が多いだろうから。
誰か教えてやればしめたとばかりに規制に乗り出すよ。
生贄はお前達だ。