こんな前提条件が成立しうるなら、バグの少ない高品質なプログラムに労働力をつぎ込むのではなくて、同じ動作をするプログラムを複数重ねて、動作判定をするプログラムを追加するという戦略を取ることはできないだろうか?
具体的には以下のとおり。
大きなアプリケーションの中で、もっとも大切な部分はコンペ型式で作って、一番まともに動いたものを「一軍」、それ以外を「控え」にする。
これらとは別に、「正しい結果を出したかどうか?」を判定するプログラムを別に作って、「正しく動いていない」と判断された場合、同じデータを控えに回して、その結果を出力するようにする。
動作判定は素朴なもの、たとえば結果が出てくるまでの時間とか、得られたデータの桁数とか、そんなもので判定して、ちょっとでもおかしかったら次々に「控え」を前に出して、とにかくまともそうな結果が出るまで選手を入れ替えていく。
ひとつのデータの処理と出力が終了したら、また一軍が元の位置に戻って、次のデータの処理にかかる。
デバッグに地獄を見た話とか、エクストリームプログラミングの話とか、みんなバグを取るための方法論を語るけれど、バグを内包したまんま動きつづけるものを想定する発想、あんまりないんだろうか。
人間の頭なんかは、どちらかというとこんな構造をしているように思うんだけれど。
平野 …… 僕はネットでブログをやっている人の意識って、だいたい五種類に分けられるんじゃないかと思ってるんです。
一つは、梅田さんみたいに、リアル社会との間に断絶がなくて、ブログも実名で書き、他のブロガーとのやりとりにも、リアル社会と同じような一定の礼儀が保たれていて、その中で有益な情報交換が行われているというもの。
二つめは、リアル社会の生活の中では十分に発揮できない自分の多様な一面が、ネット社会で表現されている場合。趣味の世界だとか、まあ、分かり合える人達同士で割と気安い交流が行われているもの。
この二つは、コミュニケーションが前提となっているから、言葉遣いも、割と丁寧ですね。
三つ目は、一種の日記ですね。日々の記録をつけていくという感じで、実際はあまり人に公開するという意識も強くないのかもしれない。
四つ目は、学校や社会といったリアル社会の規制に抑圧されていて、語られることのない内心の声、本音といったものを吐露する場所としてネットの世界を捉えている人たち。ネットでこそ自分は本音を語れる、つまり、ネットの中の自分こそが「本当の自分」だという感覚で、独白的なブログですね。
で、五つ目は、一種の妄想とか空想のはけ口として、半ば自覚的なんだと思いますが、ネットの中だけの人格を新たに作ってしまっている人たち。これは、ある種のネット的な言葉遣いに従う中で、気がつかないうちに、普段の自分とは懸け離れてしまっているという場合もあると思いますが。
この五種類が、だいたいネット世界の言説の中にあると僕は考えるんです。一番目と二番目とについては、ネットに対して最も保守的な考えの人でも、多分、否定的には見ないでしょう。三番目は、やっぱり、自分を確認したいというのと、自分のはかなく過ぎ去っていく日々を留めおきたいという気持ちとがあるんだと思います。よく問題になるのは、四番目と五番目ですね。その時に、リアル社会のフラストレーションが、「自分の本音は本当はこうなんだ」という四番目の方に向かうのか、五番目の空想的な人格の方に向かうのかは分かれるところだと思いますが。 ……
虐殺の巻物を手に入れた。入手経路の詳しい説明は省くが、分かりやすく言うとこれはすごいデスノートみたいなものだ。デスノートと違うのは、個人名ではなく、種族を書くと、その種族が一斉に死ぬところである。「アメリカ人」と書けばアメリカ人がみな、「悪人」と書けば悪人がみな死ぬ、そう説明書には書いてある。種族の定義については割愛、とも。
そんな巻物が手元にある。私は想像を思い巡らせたが、最後には緊張しつつも「非モテ」と書いた。「はてなブックマーク」の注目エントリーに「非モテ」話がいつも挙がってくることを、私がどれだけ苦々しく思っていたかご理解いただけるだろうか。他に虐殺すべき種族もいるが、あまりに大規模では、どのような影響が生じるか予見出来ない。まず肩ならしとして「非モテ」はちょうどいいサイズに思えた。
書き終えて、私は窓を開けて街を眺めてみる。なにも変化がない。テレビを点けたが、なにも変化がない。テレ東は世田谷区で一番うまいラーメンはどこかと騒いでいる。知るか。西武新宿線に乗って新宿まで出てみたが、やはりいつもと変わらない、騒がしくて汚ならしい新宿である。カラオケ店の呼び込みがわずらわしい。巻物は偽物だったのだろうか。私は不安になった。クーリングオフは効くのか。残りのローンはどうなる。私はふて寝した。
変化に気付いたのは翌朝のことだった。いつもなら深夜のうちに更新されるはずの多くのブログが、今日は更新されていない。もう何年も毎日更新されてきたようなブログもだ。私は不意に勝利を確信した。「非モテ」は死んだ。私が殺したのだ。大停電の日や家族の葬儀があった日、自転車で転倒して両腕を骨折した日でさえ携帯電話を片手に絶えずブログを更新してきた者たちだ。彼ら彼女らの沈黙は死でしかありえない。私は更新が止まったブログを次々に見つけては微笑んだ。意外なアルファブロガーも沈黙しており、だからプロフィール画像がアレだったんだ、と私は一人ごちた。
その日の「注目エントリー」は「非モテ」話が消え、ライフハックで溢れた。無数のブログが同時に活動を止めたことに気付く者はいなかった。どうでも良かったのだ。特に「非モテ」でない者にとって。私は「ライフハッカー」と巻物に書いて床についた。
増田のような完全に近い匿名空間では誰が誰だか分からないので、そういう場所ではかえってその匿名から突出して自分は他の人達とは違うのだぞ、あたしだけをみて!という力が働くのかもしれない。
だから、情動に訴えかけるネタを書いて、まわりから気にとめてもらおうとする、するとまわりの人間も似たようなネタを書いてくるから、結局またもとのドングリの背比べさ。
ネットで実名・匿名を使うことについて、盛んに議論がなされている。
しかし、そんな議論をする前から、社会は既に答を出している。
愛娘を交通事故で亡くしたばかりの芸能人のブログコメント欄が荒らされるという出来事があった。
既にコメント欄は閉ざされたらしいので、今となっては誰も事実を確認することができない。
しかし、そこは絶対に匿名で荒らされたに違いない、と思われることだろう。
実名やコテハンで荒そうとする奴などいない、と誰もが考えるから。
たとえ事実がどうであっても、そのように思われる。
反「社会」的な事件がネットで起こるたびに、匿名掲示板の存在が槍玉にあげられる。必ず。
実際に匿名掲示板が事件に寄与していようがいまいが、「社会」にとってはどうでもいいこと。
そして、反「社会」的な行為を助長するために、匿名掲示板が存在する。
匿名掲示板にも良スレはある、という人へ。結構。きっと、そうなのだろう。
貴方は匿名掲示板を擁護する者だと見なされる。貴方の言ったことが事実かどうかに関わらず。
貴方の頭の中はお花畑だと思われる。
そして、貴方の居場所は毒の沼だと思われる。
貴方はもちろん、そのことを知っている。
だから貴方は、日頃から「ネットの匿名は悪だ」と主張しているはずなのだ。ネット以外の場所では。
そのようにして溜め込んだ心の毒は、ネットで吐き出すしかない。
もちろん、匿名で。
http://anond.hatelabo.jp/20070119125730
最初に話者含め登場人物の性別をはっきりさせてくれ。
たぶんへテロの話やと思うねんけど。
大好きわんぱーく!!
右利き左ルー派。
チキン三つ続いたので
「サントリーの面接での事だった」
で締めると思ったのに小麦粉と来て興ざめした。上のでも十分寒いけどな!
http://anond.hatelabo.jp/20070119082610
http://anond.hatelabo.jp/20070119110918
http://anond.hatelabo.jp/20070119114455
http://anond.hatelabo.jp/20070119120512
これは、「1回でいいから言ってみたかったけど、言えなかった○○な私。」の「○○」を足していくと最終的に唐揚げが出来上がるという流れ?
http://anond.hatelabo.jp/20070119082610
人事 「君は友人が多い方ですか?」
私 「愛と、勇気だけです!」
1回でいいから言ってみたかったけど、言えなかった小麦粉な私。