虐殺の巻物を手に入れた。入手経路の詳しい説明は省くが、分かりやすく言うとこれはすごいデスノートみたいなものだ。デスノートと違うのは、個人名ではなく、種族を書くと、その種族が一斉に死ぬところである。「アメリカ人」と書けばアメリカ人がみな、「悪人」と書けば悪人がみな死ぬ、そう説明書には書いてある。種族の定義については割愛、とも。
そんな巻物が手元にある。私は想像を思い巡らせたが、最後には緊張しつつも「非モテ」と書いた。「はてなブックマーク」の注目エントリーに「非モテ」話がいつも挙がってくることを、私がどれだけ苦々しく思っていたかご理解いただけるだろうか。他に虐殺すべき種族もいるが、あまりに大規模では、どのような影響が生じるか予見出来ない。まず肩ならしとして「非モテ」はちょうどいいサイズに思えた。
書き終えて、私は窓を開けて街を眺めてみる。なにも変化がない。テレビを点けたが、なにも変化がない。テレ東は世田谷区で一番うまいラーメンはどこかと騒いでいる。知るか。西武新宿線に乗って新宿まで出てみたが、やはりいつもと変わらない、騒がしくて汚ならしい新宿である。カラオケ店の呼び込みがわずらわしい。巻物は偽物だったのだろうか。私は不安になった。クーリングオフは効くのか。残りのローンはどうなる。私はふて寝した。
変化に気付いたのは翌朝のことだった。いつもなら深夜のうちに更新されるはずの多くのブログが、今日は更新されていない。もう何年も毎日更新されてきたようなブログもだ。私は不意に勝利を確信した。「非モテ」は死んだ。私が殺したのだ。大停電の日や家族の葬儀があった日、自転車で転倒して両腕を骨折した日でさえ携帯電話を片手に絶えずブログを更新してきた者たちだ。彼ら彼女らの沈黙は死でしかありえない。私は更新が止まったブログを次々に見つけては微笑んだ。意外なアルファブロガーも沈黙しており、だからプロフィール画像がアレだったんだ、と私は一人ごちた。
その日の「注目エントリー」は「非モテ」話が消え、ライフハックで溢れた。無数のブログが同時に活動を止めたことに気付く者はいなかった。どうでも良かったのだ。特に「非モテ」でない者にとって。私は「ライフハッカー」と巻物に書いて床についた。
なんか久々に読んで損した気分にならされた文章を読んだ。
君は運が良かったな。 巻物は余り安易に読むものではないよ。もし呪われていたらどうする?想像しただけでも身の毛がよだたないか? しかしもっと問題は祝福されていた場合だ。このと.
http://anond.hatelabo.jp/20070119134912