人文社会科学系と、自然科学系の違いをどうしても述べると言えば、 人文社会科学の場合はおそらく、 ゲーテもいうように、虹でも、15分も経過したら誰も見向きもしないだろうという
のごとく、美しいものでも、数分を経過したら誰も興味がない。しかし、数学のような形而上学であると、偉大な定理は発表されたときに驚愕されるがその美しさは永遠には続かない。
ウィキペディアでは、 1970年代に発表された7次元の超球の定理について、「現在では」 誰もに美しいと言わせるものではない、と述べている。しかし、数学の定理が一般的に、
その美しさを失って陳腐な真理と化すまでには、30,40年はかかることを説明している。したがって数学でも、 永遠不変の美が存在するとは一般には思われていない。しかし、
ウィキペディアによっても、証明の技術については、永遠不変の美があるように書いている。
ゲーテが、人間だけが不可能なことをなしうるし、不可能を信じる者を神は愛すると書いているが、フェルマーの最終定理は、400年の間、不可能の象徴であるとされてきた。定理はもちろん
予想であり、それを確定できるかは、証明である。その証明は不可能であると信じられてきた。しかしここでの形而上学においても、どうしても、永遠不変の美はないように書いている。
すなわち、ゲーテを解釈すると、 人生は有益なものから真を通じて美に至ることであると書いているが、 結論美の永遠性の不可能性についてはまだ誰も論じていない。